さくらだより第8集

造幣局の桜
 一つ屋根の下で暮らしながら、息子が他人の娘を九年間も監禁していたという。親子関係は断絶され、社会生活の最小構成単位である「家庭」は、いまや崩壊の危機にあるかのよう。

 経済は高騰し、「二十四時間働けますか?」というCMが流れた頃、父は大阪に単身赴任していた。
「造幣局の桜をいつか皆で見に行こうな。」と父は言った。同僚と桜見物に出かけたのだろう、その見事さを聞かせてくれた。
 週日働きづめでクタクタであろうに、それでも週末になると、子供達との時間に精一杯を費やす。子供達が楽しかったかどうかを何より一番に考える、父だった。だからこそ、たまの家族旅行は、出発を指折り数えてワクワクしていた。
 今年こそ、造幣局の花見もできると思っていた。そんなある日、長い単身赴任からやっと解放されるという時、張り詰めていたものが切れたかのように、父は倒れ旅立った。
 桜の季節になると、父の言葉が脳裏をよぎる。いつもそこにあるもの。それが家庭ではない。人間も、いつ儚く散るかわからない、桜の花のようなものなのだ。
 もっとたくさん父と一緒の時間を過ごせばよかった。そう悔やまれてならない。
 家族は、その一瞬一瞬が大切なのだと思う。

(友次佐知子)



A子ちゃん
 「ここで作ってくれる薬だったら飲むよ。」とA子ちゃんが言ってくれた。こんな嬉しい言葉は、薬剤師になって初めてもらった。薬という化学物質に何らかの付加価値がつけられるとは、自分でも考えてみたことが無かった。
 A子ちゃんは、精神分裂病。いくつかの精神病治療薬を服用しなけれぱならない。これがまたとても苦い。その為なのか、長年続いた服薬の為なのか、全く薬を飲むことが出来なくなった。しかし服薬を中断すると、必ず病気は悪化する。お母さんも、なんとか薬を飲んでもらおうと必死。
 そんなA子ちゃんとそのお母さんの期待を背負って、調剤をする。私に与えられた重圧を理解したかのように、A子ちゃんは白分から薬を飲んでくれた。お母さんは大喜びであるが、私には何故なのか、理解に苦しむ。
 私の疑問は解決されないまま、A子ちゃんの症状は快方に向かい、おしゃれになった。きれいにお化粧もするようになった。温泉の鏡に映った自分の姿が太っているといって、気にするようになった。「もう少しお薬の量が減ったら、きっと痩せられるよ。」と心の中で呟きながら、その悩みを聞いていた。私は、そんな日がもうすぐ来ると、思うようになった。
 A子ちゃんは、薬をのむことに、そして自分の感情を押し殺すことに精一杯努力をして、疲れたのだろうか。ある日全く薬が飲めなくなった。どうしても飲めないことで、私と視線を合わせてくれなくなった。苦しんでいる彼女の心の内を推し量ると、辛い。
 ついに彼女は、自分から精神病院に入院することを言い出した。
「遊びに来てもいい?」という彼女の言葉が、耳の奥に残る。気持ちの優し過ぎるA子ちゃんだった。やはり私には期待に答えるだけの技量は、無かった。



臨界事故
 中日ドラゴンズが、十一年ぶりのリーグ優勝を決めたその時、東海村で臨界事故が発生していた。
 薬局の業務が終わる夜七時、患者さんの中に熱狂的な中日ファンがおられるので「中日は優勝かな?」と思ってラジオのスイッチを入れた。飛び込んできたニュースの第一声に、耳を疑った。これは大変なことになる……と背筋に戦慄を感じた。と同時に、周囲の人は皆、この事故のことを知っているのかと思った。
 後日、当日事故現場の近くへ車で出張に行き、終日事故発生を知らなかった人の話を聞いた。
「住民には有線放送で知らされても、私のように他所から入っていった者には、知らせてくれる手段が無いのですよ。」と話しておられた。
 翌日臨界が終息に向かったというニュースを聞くと共に、何故事故がおきたのか、という疑問が湧いた。 十年もの間のずさんな作業工程が、表面化した。裏の裏のマニュアルが存在していたという。初めて聞く我々は、なんとひどいことか、と驚愕する。しかし少なくともここに関わっていた人の幾人かは、この作業を許されないほどひどいことだとは、考えていなかったのではないだろうか。まして、今回のような事故を予測してはいなかったと、想像する。
 今回の事故から、二つのことを学んだ。情報杜会の中で世界中の動きを知りえると思っていても、案外蚊帳の外にいるのではないかということ・現代でも口伝という方法で仕事が伝えられていくということである。
 歴史を見るとき、先人の行為を評価することは出来る。しかし今の我々の行為を評価することは、予想外に難しいものだ。大内さんの死は、大きな犠牲であった。忘れてはならない。
 心からのご冥福を祈りたい。



Y2K
 昨年を語るのに、この言葉を抜きにしては語れない。昨年秋には、コンピューターの誤作動に起因する事故を想定して、様々な注意が喚起された。
 コンロ・石油ストーブ・カイロ・電池・ペットボトル・保存食……Y2K関連の消費が増えたと、報じられた。しかし石油ショックのときのような、買占めやそれによる物不足の混乱はなかったようだ。
 一方薬局では、一月半ば頃まで流通が復帰しないこともあると脅かされて、一ヶ月分の薬を余計に在庫した。恐らく全国の病院や薬局は、同じような対策を採ったことだろうと思うのだが、こちらも薬が品薄になったということは聞かなかった。
 改めて豊かな国なのだなあ、ということを実感する。
 拍子抜けがするくらい何事もなく、年が明けた。大晦日の延長にある、穏やかな元旦であった。
 二千年初めての資源ごみの回収日、空のペットボトルの山に、首をかしげながら、千年前を想像し千年後を憂う。








求められる情報とは?
 ここ一、二年の間の情報手段は多様化しています。一方で、最新技術の利用者は限られていて、さらにはテレビや新聞さえ介助が無ければ利用できない人々も居ます。しかし情報というものは生活に大きく影響するものであり、それだけに、慎重に、しっかり意義を見据えて伝えられるべきだと考えます。
 昨年一月、私の病気(筋ジストロフィー)を対象に受精卵遺伝子診断の実施が承認され、それに対し、患者や障害者関連の団体が反発しているという報道が流れました。反発の理由は、生命の操作・選別が道徳に反し、差別を生み出す危険性があるからと報じられました。しかし、その背景にある、患者や関係者の「感情」も、もっと伝える必要があったと思います。
 例えば、難病患者を生まないようにする事は、本人にとっては、存在価値を否定されている感じがすることも、そのひとつです。さらに、全ての人々が共有する問題にもかかわらず、難病患者の間だけの問題であるように捉えうる報道にも、危険を感じました。
 情報伝達において、問題の重大性と本質を報じることが、より重要だと感じます。
 それから、私達は出来る範囲で、積極的に報道機関や役所などから情報を収集しようとする姿勢は持っているべきだと思います。それだけに、我々身体的に障害をもつ者が、本当に頼りにしやすい情報手段、情報内容の充実、検討がされることを期待しています。生活全般に渡って介助が必要な私は、日常生活の、ほとんどを家族に頼っていました。
 ある日、病院の待合い室で、患者さんの付き添いの方と話をしていて、私の住む大阪市には、介護してくれる人を援助する制度があることを知りました。これらの情報は、冊子等に掲載されていても、役所の職員が自ら通知されることは少ないと感じます。それぞれの地域に有用な制度があるのに、情報を得られないことで、障害者の人が外出を躊躇したり、日常生活において、より負担のかかる手段を選んだりしていることはないでしょうか。今後は情報技術、情報産業の発達ばかりに眼を向けず、そのあり方に対して検討がされることを期待しています。

(長岡功治)



情報におけるバリアフリーを
 二十一世紀は情報化社会と言われていたが、すでに高度情報化社会と呼ばれるようになっている。私自身もホームページ上に自分自身を紹介することを試みている。また、インターネット上の情報を利用することもある。情報の送受信ということについて、日頃の考えをまとめてみた。
情報について大切な事を挙げれば、正確さと迅速さだと思う。「地面が凍ってるよ。」と、滑った後注意を促しても意味はない。だからといって先に伝えようとするあまり正確さを欠いては誤解を生む事にもつながる、という事に伝える者は留意すべきだし、あるいは伝えようとする者の偏見や意図が真実をねじ曲げているかもしれない、と受け手は留意しておくべきだ。
 我々はあらゆる情報に接しようとする時、安易に与えられた情報を反射的に受け入れていてはいけない。
 ある役所のホームページで、公開された情報の内容が乏しく、さらに詳しいことは、電話で問い合わせるようになっていた。セキュリティを要する内容ならともかく、とかく役所は情報公開に対して慎重過ぎるのではないかと思ったことがある。
 一方で、確実にインパクトがあるという理由からであろうが、ワイドショーなどの過熱した報道合戦について考えるとき、本人が許可していないプライバシーを報道するのが、保証された権利と言えるのか、どうか。
 自分についての情報でも、企業が蓄積した顧客情報が流れてはたまらない。流すぺき、知って欲しい情報なら、アクセスしやすくすべきだし、流すぺきでない情報は管理を厳重にし守る努力をすべきだろう。
 知って欲しい情報ではあるが、意図しないところで情報が一人歩きするのではないかと、発信に躊躇することがある。逆に、知りたい情報ではあるが、当方にとっては不消化な内容であったりということもよくあることだ。情報化社会を生きるために、我々にはますます、情報とうまくつき合う能力が要求されていると恩う。

(清水直樹)



ぱそこんハウスとの出会い
 私は、脊髄性筋萎縮症と言う難病保持者。ある日突然この病名を与えられた。しかしそれを自分のものとして受け入れるには、時間が必要だった。そして昨年、それまでの体力を使う仕事に限界を感じ、七年務めた会社を退職することになった。それを機に障害手帳を所持し、障害者の仲間入りをする覚悟をした。
 新たな就職のために、パソコンを使った図面の製作の技能を身につけようとした。この仕事は、今の身体の状態にも無理はなく、将来への展望も開けるような予感を感じていた。
 ところが景気低迷で、予想以上の就職難。仕事も見つからず悩んでいる時紹介されたのが、岡山市の小規模作業所「ぱそこんハウス」であった。ここでは様々な障害をもった人が、パソコンを利用した仕事をすることを目的に集まっていた。私より重い障害を背負って努力する仲間に出会えて、自分も何かをしなければ、という気持ちにさせられた。今私は、ここに通ってワープロ教室の手伝いをしたり、ホームページ(HP)を書いたりしている。しかし折からの不況風のためか、与えられる仕事はとても少なく、ここのメンバーも時間を持て余している感がある。
 将来、山陽町にも同じような障害者作業所が必要ではないかと考え、ここのスタッフになることを申し出たのだが、行政的な間題で頓挫している。なんとも煮え切らない日々を送る毎日である。

(注)「ぱそこんハウス」では、データ入力・名刺作成・HP作成・はがき作成・インターネット体験・ワープロ教室などをしています。

HP http://www1.harenet.ne.jp/klkl/
E-mail klkl@po.harenet.ne.jp
(河原)

後記
 昨年一年を振り返りながら、『情報』というテーマでそれぞれの立場からの意見を書いてもらいました。八回目を発行できることに、感謝しています。



発 行  2000年4月
発行者  赤磐郡山陽町岩田63-1
 さくら薬局
 TEL: 08695-5-5510
http://www.harenet.ne.jp/sakuraph/