ブタインフルエンザ
二〇〇九年四月二十五日(土)夜十時、町内会の役員引継ぎを終えて帰宅しテレビをつけると、メキシコでインフルエンザが流行して死者が出ていると放映していた。ついに高病原性鳥インフルエンザが人から人への集団感染を起こしたのか?と不安になる。
休み明けの二十七日(月)。マスクを購入される人が続出。不織布のマスクは、午前中に在庫がなくなってしまう。日頃それほど引き合いが無いので、たくさんの在庫をしておらず、ガーゼのマスクもすぐ売り切れ。
仕方なく、マスクの作り方を書いて薬局内に出す。 「マスクって手作りできるのね・・・」という声が上がる。 手指の速乾性消毒液の問い合わせも頻繁。
それにしても肝心のインフルエンザの概容はちっともわからない。メキシコで流行したというのも、予想外であった。メキシコに比べて日本は衛生環境が良いので、集団感染には至らないだろうと当初予想されていた。 鳥のインフルエンザウイルスが人に移ったのではなく、豚のインフルエンザが人に移ったのだと言うことも判った。そしてブタインフルエンザと命名された。
日本は大丈夫では・・・と安心したのもつかの間、ゴールデンウィーク明け、成田着国際線の飛行機内で高校生からインフルエンザウイルスが見つかると、物々しい隔離が行われる。そして、まるで大本営発表会のような「タミフルが効くので安心して下さい。タミフルの確保は充分です。ワクチンの製造を急ぎます」と
いう報道。
ブタインフルエンザが、新型インフルエンザと改称されると一層不安をあおる。
それでも関東圏内での集団発生は、まだ対岸の火事であった。五月中旬に神戸の高校での集団発生には、振り返ってみると笑えないようなことが次々と起こった。
まず、マスクが市場から消えた。日頃の四倍くらいの値段をつけてそれを販売しているとか、兵庫県からわざわざ買いに来られたとか。タミフルがインターネット上で販売されていた。インフルエンザに効能があるという麻黄湯も品切れ状態。
街中にはマスクをかけている人が氾濫していた。外出は控えて、スーパーでの日常品の買い物にも遠慮がちになった。
六月に入ると、過剰な反応であったことが判り、騒動は落ち着く。
秋になって、ワクチン騒動。
年が明けて、多くの国民は新型インフルエンザの抗体を獲得したようである。 ヒトインフルエンザの歴史に記録されるであろう年となった。
薬事法改正
一九六〇年施行された薬事法が、二〇〇九年六月一日、改正された。 改正点の最も大きなところは、一般用医薬品の分類と販売方法である。 一般用医薬品が三つに分類されて、そのうちの二つに属する医薬品は、登録販売者の資格を有する人が販売できるようになった。
従前の販売方法がどうであったのか、三つの分類がどのようになっているのかを端的に説明するのは難しいので、マスコミでは、「コンビニで薬が買えるようになった。」と報じた。
国の施策としては、国民にセルフメディケーションを推奨したいのだろうと感じている。
そこで、六月一日を前に、東京大学前のコンビニを覗いてみる。従前と何も変わっていなくて、拍子抜け。 六月一日を過ぎて、近所のコンビニで買い物をする。大衆薬は、店内に入って目に付くところの棚に置いてある。 一応、風邪薬もビタミン剤も整腸剤もある。しかし、セルフメディケーションを担うには難しいように感じた。何かが足りない・・・。
医薬品の販売は対面販売が原則となり、ウエブサイト上での販売は出来なくなった。 電話で注文を受けて発送することも、特別な場合を除いて出来なくなった。
このことは、今まで医薬品の購入を電話やインターネットで行っていた利用者の方々から、問題提起されている。
森鴎外が愛用したと伝えられる島根県津和野の『一等丸』も、津和野に出かけなければ手に入れることが出来なくなった。 津和野に生まれてこれを愛用し、現在は遠くに在住している人には、不便な改正だろうなあ・・・。
そういえば、『ノーエチ』という配置薬の鎮痛剤を愛用されていた方がおられたが・・・。
富山の薬売り
子どもの頃、家の片隅に赤い箱が置いてあり、その中には数種類の薬が入れてあった。引き出しのついた箱が珍しくて、開け閉めして遊んだことを思い出す。今思えば、これが配置薬であった。どのような人が薬を入れ替えしていたのかは記憶にないのであるが、紙風船のことは覚えている。
この薬売りの元祖の薬が、なんと岡山県と関係のあることを、配置薬の歴史を調べていて知った。その薬の名前が『反魂丹』。胃痛・腹痛に効果があるとのこと。
江戸時代に家伝薬である『反魂丹』の処方を富山藩主前田正甫に伝えたことがきっかけで、富山の地で製造されるようになり、富山藩の保護を受けて全国に「越中富山の薬売り」が広まったそうである。
この家伝薬を伝承していたのが、和気郡益原村の万代家。もとは万代家の先祖が唐人より学んだものであったらしい。
当時の『反魂丹』の処方内容を知るべくいくつかの資料に当たってみたが、確かなものが見当たらない。やはり秘伝薬である。
第十一代万代常閑
富山藩に『反魂丹』を伝授したとされる人物。
昭和六年五月五日に没後二百年祭が富山市において行われている。この時に常閑の出身地を代表して和気郡片上町議 三村忠治氏が書いた祝辞が残っている。 「・・・済世救民の仁術を発揮されたることは人口に膾炙せり・・・」と称えている箇所から、没後二百年を経てもなお、人々の尊敬の対象であることが伺える。
苦労をして学んだであろう薬の処方や製法を他国の人に教え、その販売権まで譲った度量の広さには感心する。
小児科医の訪問
梅雨の時期を迎える少し前の昼下がり、一人の男性が薬局に入ってこられた。 「僕のこと覚えていますか?」 お顔には見覚えがあるが、どなただったかしら?
「小児科医になりました。あの時の言葉で、医者になりました・・・。」 思い出した! 医学部の学生さんで、医学部の勉強に失望をして郵便局でアルバイトをしていた人。
その時に、処方箋の調剤をした覚えはある。 当時私が何をしゃべったのかは、どうしても思い出せない。慶応大学病院で小児科医としてお仕事をされていたのだけれど、この度ご親戚の医院を継ぐとのことで、広島へ帰ってこられたとのこと。恐らく十五年ぶりくらいで薬局に来てくださった。
患者さんが立て込んで、名残惜しそうに立ち去って行かれる後姿に、「先生がお仕事をされる地域の子どもさんは、とてもお幸せですね。」と心の中でつぶやく。
酒井法子騒動
麻薬撲滅運動のポスターになっている酒井法子さんが、失踪した。
当初はご主人の大麻所持が発覚したので、世間体が悪くて子どもと一緒に身を隠しているのだろうと思っていた。有名人であるが故の所作なのだろうと・・・。大麻の常習者などとは、想像しなかった。
失踪劇が終了して、常習者であったことが判明すると、ひどく落胆した。 その後、有名大学の学生が次々と大麻の栽培・所持で逮捕される。薬物汚染の広がりに深刻になる.
「ダメ!ゼッタイ」 与えられた将来を、薬物で壊さないで。 薬に携わる者として、何よりも悲しい事件である。
侵入未遂
八月十四日朝、出勤してくると窓ガラスに大きなヒビ。 ガラス屋さん曰く、「これは故意にガラス窓を外そうとした形跡があるよ。」
八月上旬、名古屋では薬局が二件続けてガラス窓を破られて、向精神薬や降圧剤が盗難にあったとのニュース。 薬が盗難に遭うと、それらが犯罪に使われる可能性があるので、不気味である。
監視カメラを設置することも、検討した。それまであまり気に留めていなかったが、ATM上部、コンビニ入り口には必ず監視カメラがある。
昨年、監視カメラに残った映像から、千葉大生殺害の犯人が名乗りを上げた事件もあった。 物騒な社会になったものだ。
ゆずり葉
秋のある日、薬局に耳の不自由な方が、一枚のチラシを持って来られた。 映画の案内である。 身振りで、薬局と関係があると示される。 桜が丘いきいき交流センターで上映会がなされというので、出かけてみることにした。
映画の題名は『ゆずり葉』。なんとも良い響きである。 この映画は全日本ろうあ連盟創立六十周年記念映画であった。 耳の聞こえない少女が薬剤師を目指して勉学に励み薬剤師国家試に合格するも、法律の壁で薬剤師免許が交付されず、その後自身で耳が不自由 であっても薬剤師としての仕事に差しさわりの無いことを証明して、全国で始めて耳の不自由な方に免許が交付されるという実話が元になって いた。
薬剤師法の欠格事項の見直しも行われた。 ニ〇〇一年七月のことである。
ニ〇〇九年六月、日本人の全盲のピアニストが米国のピアノコンクールで優勝した。
コンクールまでの模様をドキュメンタリー番組として放映したので、興味深く見た。彼の言葉が素晴らしい。
オーケストラとのタイミングをどのように合わすか、指揮者の人が悩んでいると、彼曰く。 「目の見えない人と(一緒に)やることがあんまりないからでしょうけれど、何も困ることはないですよ。僕には会場の雰囲気でわかります」. ニ〇〇九年一月、アメリカ合衆国初の黒人大統領オバマ氏の大統領就任演説には、心を揺り動かされた。 クリントン元大統領の夫人が選挙戦に参戦した時、この日が来ることを予想出来なかった。 合言葉は、イエス、ウイ キャン。
不可能の代名詞の『青い薔薇』が成功。花言葉は「夢かなう」。
派遣切り
リーマンショックに端を発して、日本でも次々とリストラが行われた。 ことに昨年前半はそれらのニュースに触れない日はないのではないか?と思ったほど。
サブプライムローンと日本経済がどのような関連を持っているのかも、素人には理解し難い。 しかしその後にとんでもないことを知ることになる。
問題となった派遣社員の大量解雇を行った後すぐに、期間雇用として採用しているのである。 まるでチラシを見比べて、一円でも安い買い物をするかのような雇用の仕方。 日本を代表する企業の考えに首を傾げる。
人件費の安い国へ出かけていってコストを削減しなければ、競争力のある製品を製造できないと聞く。 しかし日本国内に購買力があれば、無理をしなくても良いという理屈は成り立たないのか?
『地産地消』 近江商人の言う『三方良し』 一人勝ちの発想はいただけない。
人 生
昨年秋、一人の女性が百年の人生を全うされた。 戦前は京城(ソウル)に住み、昭和二十年十一月に引き上げ船で日本に帰国。 京城から釜山港までは、幼い子の手を引いて歩いたそう。 船を待つ港では数日、寒さに震えたと言っておられた。 京城から何も持って帰ることが出来なかったと言われる。 同じ船になった人々のことを、気にかけておられた。 毎年冬になると、自家製キムチを作っておられた。 韓国での思い出話をたくさんしてくださった。
百年の年月には様々なことがあったであろうに、旅立ちのお顔は穏やかで美しかった。
桜の森の満開の下
作家 坂口安吾の小説の題名。 咲き誇っている満開の桜の森は言わずとも美しい。しかしその森の下には、魔物が住んでいる・・・とその小説には書かれている。
米国議会でトヨタに関する公聴会が開かれている。 事の真相は推し量ることすらも出来ないが、大変な試練を与えられようとしていることだけは理解できる。
周りに誰もいない静かな夜。 満開の桜の木の下で天を見上げる。 吸い込まれそうなひんやりとした風を感じる。
後 記
例年寒さが緩み始めると、過去一年を振り返って皆様にお伝えするようなことがないだろうか?と、考えます。 昨年はなんと言っても薬事法改正が大きな出来事でした。多くの場合変革点に立っている時には、その変化の意味は理解しにくいものですが、やがて時間が過ぎてゆくと、あの時が曲がり角であったのだと気づかされます。
配置販売業の歴史を紐解いてみると、そこには庶民の薬に対する思い・製薬業としての技術・販売業としての心構え、そして為政者の産業としての配置販売業の捉え方など、想像以上に奥の深いものでした。資料として残っているものが少ないことが残念でした。
昨年放映されたテレビドラマ『JIN~仁~』の中で、もし歴史上の人物を現代の医療技術で治療をすることでその命を永らえることが出来たとしたら、歴史は書き換えられただろうか?という問いかけがありました。病気や怪我が人や社会に及ぼす影響は、思いのほか複雑であることに改めて気がつかされました。
新型インフルエンザに怯えた経験も、後世になってみれば有意義なことであったということになるのでしょう。 さて、今年はどのような試練が待ち構えているのでしょうか・・・
発行日 二〇一〇年四月 さくら薬局 印刷 財団法人矯正協会