日本人ボランティアからの手紙
日本人ボランティアの方からのお手紙を一部紹介しましょう。
すぐ下は峠。
その峠を見下ろす慰霊碑は夜にはほとんど真っ暗であろうような淋しい地にありました。
この峠が昭和20年、激戦の地であったと碑には記されています。
また、ここでの日米比の戦死者は計1万7千余名、ともあります。
ここから北に直ぐのサクラサク峠の日本軍を守るべく必死の戦いが繰り広げられ、多くの日本の若き兵隊さんが死んでいったと言います。
バギオも激戦地だったと言われますが、北へ追いつめられていった兵隊さん達はどんな思いでこの淋しい地で敵と戦ったことでしょうか。
借家の近くの散歩道から時々見える南シナ海。
一度逆に見てみたいと出かけました、ボロボロのバスで。
でも、残念なことにこの日は雲が山にかかっていて我が住み家の辺りまでは見えませんでしたが。
サンフェルナンドへ行ってきました。
今年は雪が多く寒さも一入と聞く日本ですが、いかがお過ごしでしょうか。
こちら今日は室内でも寒く、長袖と長ズボンで仕事しています。炬燵が欲しいほどです。
さて、月曜日の仕事疲れの憂さ晴らしもあって、火曜日、港町のサンフェルナンドへ旅しました。
いつものようにバスで尾根を下ります。
一つ運転を間違えると千尋の谷へ
運転手がちょっと居眠りをしただけでも・・・。いつも考えるとゾッとします。
夜になるまでは半袖で過ごせましたが、流石に今は長袖です。
暮れから正月はとにかく騒々しいばかりでした。
爆竹、花火と四方八方からひっきりなし24時間、戦争さながらの騒音。いやあ参りました。
一連発、1000ペソ(約2800円)もすると聞く爆竹がそこかしこで爆発していました。
一握りの金持ちとほとんどの貧しい人と言われるようなこの国で、この1週間ほどの、空や地面に散った額は一体どのくらいだったのでしょうか。
人の財布とはいえ、勿体ない、もっと建設的なものに使えないものか、と嘆いた次第です。
さて、バギオの様子はうかがえたでしょうか…。
フィリピンからの手紙
ボランティア交流を通して、現地の日系フィリピン人の方からお手紙をいただきました。