さくらだより第11集

藤原智将くんの遺作展
 平成十四年一月、突然一人の青年が天国に旅立った。猛暑の九月、その青年の遺作展が吉井町生涯学習センターで行われた。二階の会場は所狭しと彼の作品(水彩画・油絵・詩・書道など)が並んでいた。そのひとつひとつがとても丁寧に描かれ、観るものの心を捉える。

 忙しさにかまけて身の回りの出来事から目をそむけようとしている自分に気がつき、はっとする。時間を気にしながら、それでももうちょっとこの場にいたいと感じる作品の数々。こんな気分は久しぶり。 絵手紙に添えられた一言に、心救われる人もきっと大勢いるのではないかしら・・・。故人のお母様に是非にとお願いして、その作品の中からここに掲載をする許可を得る。

お母様との二人三脚だったと伺う。故人の思い出に涙を誘われながらも充実した人生だったのだろうな、そうに違いない、と強く思う。



改装工事
 昨年九月、突然改装工事をすることになり、大変ご迷惑をかけました。
 改装をしなければならないと決断した理由は、在庫をしなければならない薬の数がここ三~四年前から急に増え、その置き場所に窮したことがひとつ。さらに、薬の情報を得る方法が以前は書籍によるものがほとんどだったのですが、今ではインターネットのほうがスピーディーで便利になったことで、薬局内のパソコンの配列を考え直したいと考えたこと、です。改装工事が終って、改めて薬局を開けたとき、「どこが変わったの?」と数人の方に尋ねられました。待合はちっとも変化してなかったので、皆様には期待はずれだったようです。ゴメンナサイ。

 ところで今回の工事中、大工さん・左官さん・板金屋さんなど、いわゆる職人さんといわれる人々の仕事ぶりを間近に拝見することができた。近年にない酷暑の中、全身汗まみれになりながらも、黙々と仕事を続ける姿はなんとも格好良かった。

インフルエンザ猛威
 今年は例年になく寒い年明けであった。少し寒さが和らいだ一月の下旬あたりから、インフルエンザが猛威を奮った。そしてその特効薬である薬が品薄という状況になった。異例の製薬会社のお詫び会見。マスコミが一層の不安を煽る。そんな中、九歳の少女が、インフルエンザで命を落とした。 

 二年前のピアノ発表会の日、突然崩れるように倒れて、脳腫瘍が見つかった。その後、度重なる手術・術後のリハビリ・放射線療法など少女には過酷な試練に耐えて、退院。昨年夏には同級生と一緒にプールにも入れた。猛暑の夏、脱水状態になることが気がかりだったが、それも無事乗り越えて、一月下旬の体調は順調だった。このまま春を迎えられると思っていた。
 訃報を聞いたのは、二月初め。なんともやりきれない。彼女には遠い春となってしまった。

 

咲かずの桜
 薬局の東側に二本の桜の木がある。どちらも頂戴した若木を植えたものだ。植えて五年ほどになる。一本は木の成長につれて年々花の数が増えて、昨年春にはそれなりに桜の様相を呈してきた。見上げる位置に花がついたその木の下で、花を愛でる。 
ところが隣のもう一本の木は、成長は早いのだが、葉っぱばかりで一輪の花も咲かない。当初は花と葉が同時の「山桜」かな、と思っていたが、一昨年もその前の年も花が咲かない。
 昨年春にはついに、その桜に向かって、「桜餅の葉っぱにしちゃうよ!」と言ってしまった。

EnglishVersion

開かずの扉
 中国審陽の日本大使館の扉。その前のハンミちゃんの呆然とした映像には心をえぐられた。二十数年ぶりに母国日本に帰国でき親兄弟に再開できたにもかかわらず、今度は我が子どもたちと音信不通の北朝鮮拉致被害者。ひとつの扉を開けたら、もうひとつの扉は硬く閉ざされてしまったようだ。開かぬなら、開けて見せよう腕力で。   (ブッシュ大統領) これでは困るのだけれど、でも開くまで待つだけでは、扉も開かないと思うのだけれど。 というわけで、「待つ」ということをテーマに、いつものお二人に書いていただきました。

EnglishVersion
Transmission of epidemic influenza(インフルエンザ猛威 )

We had unusual cold New Year Days. When it became relatively warmer at the end of January, epidemic influenza began to spread seriously. And shortage of influenza special efficacious drug was reported. A pharmaceutical company expressed sincere apology in a press conference. News media stirred up unrest to residents. During those days a nine-year-old girl lost her life.

On the day two years back when she planned to play the piano at a concert, she fell down suddenly and she was diagnosed with malignant brain tumor. After that, she had operations several times, got rehabilitation and received radiation treatment. She became well tried after having had such severe treatments and left hospital. Last summer she could swim in a pool with her classmates. Although she was concerned about getting dehydrated during hot days, she could overcome the difficulties and she was in good condition at the end of January. She was expecting to see spring come.

It was at the beginning of February when I heard her passing. Her death was beyond endurance for me. She could not see new spring come.

Cherry tree without blooming(咲かずの桜)
There are two cherry trees in the east area of my pharmacist's office premise. Both of them were planted when they were juvenile. Five years have passed since they were planted. As one of them grows, number of flowers is increasing year by year. Last spring it grew up to be a real cherry tree. Under the tree with flowers I enjoyed the beauty of flowers lookinng up at it.

Although another grows up so vividly, it doesn’t bear flowers. At first I though I might be Japanese hill cherry, which we can enjoy the beauty of leaves and flowers at the same time. Last year and the year before last I could not see it bloom. In spring of last year I said to it “ I want you to use your leaves as leaves of Sakuramochi, Japanese rice cakes.

Never-opened gate(インフルエンザ猛威 )

When I saw a two-year old girl Kim flabbergasted in front of the gate of Japanese Consulate in China Shenyan in a television set, I was completely shattered.
The victims abducted by North Korea returned back to the mother country Japan after 20 something year absence and could meet parents, and sisters and brothers again. On the other hand they could not correspond with their children. When we could solve one of the issues (gates), other issues (gates) happened.
If the gate shall be closed, let it open by force (President Bush).
Although this is troublesome, we can’t expect this situation will be improved if we are just waiting for.


待つ
 待っているその先には希望があるから。
 待っている間は、寂しくて長いこともある。
 痛みや苦しみがあれば、早く救いの手が差し伸べられることを願う。
 けれど、待つ事が出来るのは、
『誰かが来てくれるのではないだろうか。』そんな可能性を感じたり、そう信じることが出来るからだろう。
 しかし、世の中にはその希望の光を奪うような悲しい事がある。   
待つ人も、信じられる人も、見当たらない、そんな過酷な状況の人の中にいるのも現実。
 家に帰った時、待ってくれる人がいてくれた時に幸せを感じるように、自分が心から待つほど会いたいと思える人がいることはとても幸せなことだ。

 待っている間、色いろな事を考える。
待っている人への想い。
いつも近くに居る時には、忘れそうになっている有り難さ。
 不満を持ってしまったりする後悔の気持ち。
 そして、心から無事を祈る思い。
 そんな大切な事を想い出させてくれる時間でもある。
 待っている時は、苦痛、不安、寂しさ、辛いことも時にはある。
けれど、待つ事が出来ることは最後まで希望の光になるだろう。

 待っているだけでは何も変わらず、 最後に扉を開けるのは自分ではあるけれど。(長岡 功治)

阪神ファンの長岡さんは開幕時の連勝から、今年こそ優勝できると確信していた。そしてまさかのトルシエジャパン(サッカー)の活躍に、熱狂した。そして、ずっと見たいと思っていた和歌山の海を見るために、ツアーを敢行した。
彼のニックネームは、海がめ。ゆっくりだけれど着実に輪を広げて、彼のファンを増やしている。
彼の周囲には、春風のようなやさしい雰囲気が漂う。


もう一人の自分
俺は今、ひとりの男を待たせている。
 彼はここ数年、よく耐えた。俺もそんな彼に応えようとしたが、状況の変化もあり、期待に応えられないままでいる。
 何より、俺が彼の希望を優先することは、結果として彼を困難な立場に追いやりかねないことを彼も理解している。
 彼の寿命はあと何年だろう。 一昨年以来、彼の体力の目に見える低下は、焦りを呼び起こさずにはおかない。彼の足かせを取り除いてやれるのは俺だけなのだ。


俺だけが、彼を救える。

 僕は今、ある男を待っている。
 彼はここ何年も我慢している。  
僕のために、自分のために。

でも僕は唯一の希望のために、彼を待つしかない。
彼を困らせたい訳じゃないけど、僕が希望を捨てることは僕の死を意味するから。
そして僕の声に耳を傾けてくれるのは、彼だけなのだから。
 今、私の中の二つの立場が私をさいなんでいる。
何もせず座してなどいない、焦りは無用・・・。
そう言い聞かせて、それでもやはり私は、私の体を突き動かそうとする衝動と戦い、制止する声を振り切り、夢を叶えた自分自身とすら戦わねばならない。

甘美な幻想に無条件に身を委ねてしまえる程、私はもう若くはない筈だ。しかし同時に、慎重さは度を超すと全てを無にしてしまう。
二の轍は踏めないが、臆病さを意識して無謀に走る危うさをも、私は恐れている。

 夢がなければ生きていけないというが、パンを得るために水を捨てられるだろうか。
星をつかむために空気を。

 待つしかないこともある。
 私も、もうしばらく。
(清水 直樹)

うーん、難解。でも彼の気持ちもなんとなくわかる。


ジェネリック医薬品
 平成十四年の四月、ジェネリック医薬品の使用を促進するように行政指導がなされた。引き金は保険財政の逼迫。国民医療費全体が赤字であることを理解しても、さて個々人の薬剤の選択をどうするかと考えると躊躇する。ブランド医薬品とは何か?ということについても、考えざるをえないことになる。価格破壊が進む社会の経済状況にも目を向ける。牛丼の「吉野家」が、三百八十円に値下げ。マクドナルドが半額セール。安価にすることによって購買客を増やす、つまり薄利多売の発想と医薬品は別ではないかと考えてみたり、しかし高齢社会の今、医療費だけ別だと断言できるのだろうか、と考えてみたり。 ブランド名だとか慣習に囚われているのか?少しずつジネリック医薬品を採用してみた。もちろん問題がないわけではなかった。しかし一年が過ぎた今、当初の予想より良い感触を得ている。食わず嫌いであったということのなのか?


(注)ジェネリック医薬品

 医療用医薬品には、先発品と後発品(ジェネリック医薬品)の二種類があります。先発品とは日本で最初に発売された薬(新薬)で、後発品は、新薬の特許が切れた後に厚生労働省の承認を得て発売される薬です。後発品は欧米では一般名(generic name)(成分名のこと)で処方されることが多いために、ジェネリック医薬品と呼ばれています。
もう少し詳しくお知りになりたい方は、医薬工業協議会のホームページをご覧下さい。

http://www.epma.gr.jp/


 処方箋に記載してある薬の名前と実際の薬の名前が違うというご指摘を、何人かの人から頂きましたが、処方箋には薬の成分名が記載しており、薬のシートには商品名が書いてあるためです。また医薬品によっては、後発品が発売されていないものもあります。



住基ネット
 平成十四年八月、なんとなく『住基ネット』がスタートした。身近な問題のようでいて、当面さしたる障害もないので、意識の外に追いやっている感じがする。住民コード通知書と称する番号が書かれたカードが郵送されてきて、国民背番号制だと憤慨する記事も目にしたが、保険証も番号だし、運転免許証も番号、銀行の通帳も番号。自分自身にまたひとつ番号が増えたという認識。数字の並びが縁起が悪いという理由で通知書を返却したということも耳にするが、そのような理由で保険証や免許証の番号が変更出来るのかなあ・・・。
 平成十四年十二月二十六日、福島県のある町の住民基本台帳のバックアップデーターが、車上荒らしによって駐車中の車の中から持ち去られるという事件が起きた。住基ネットとは直接関係がないが、まさかこんな形で住民基本台帳の情報が漏洩するとは考えていなかっただけに、ショックな事件だった。



お詫び
 昨年の「さくらだより」で、薬の履歴を電子データーとしてお渡しできるように考えています、と書きました。『おくすり手帳』という形で携帯していただくことはわれわれにとって有難いことなのですが、内容が多くなると紙に書かれたものより電子データーのほうがコンパクトだし、過去の履歴の検索が容易ではないかと考えていたからです。

 昨年一年、なんとか電子化できないものかと試行錯誤をしたのですが、今年の桜の季節を迎えてもまだ出来ておりません。昨年暮れの福島県での事件も、電子化への方向を躊躇させたひとつです。今後どのようにするかについて、私自身実はまだ結論が出ていません。昨年の今考えていたより、もっといろんなことを想定しないといけないようです。

 厚生労働省はカルテの外部保存を認めました。つまり私たちの検査データーや健康状態等を診察を受けた病院でなく、他の場所に保存をしておいてもかまわないということです。このことが将来どんなことに発展するのか、予想できません。電子社会という人類がかつて経験をしなかったことが、二十一世紀とともに訪れていることを漠然と感じます。


お琴を聴きませんか?
 岡山県出身の邦楽演奏家、 砂崎知子さんのリサイタルが 六月二十二日(日)、岡山市の 市民文化ホールであります。 砂崎さんは、NHKなどでもよく活躍されており、岡山で生の演奏を聴ける、またとない機会です。
春を待ちきれずにいる水仙よ

僕もそうだヨ     とも



後記
 昨年嬉しかったことは、田中さんのノーベル賞受賞のニュースでした。今現在治療法のない病気でも、近い将来きっと薬が開発されるに違いないという漠然とした希望を、感じさせてくれました。

 その一方で悲しかったことは、若くして亡くなった、智将君や先述の九歳の少女のことでした。 イラク問題・北朝鮮問題も難題です。科学は人類の幸福に利用されるだけでなく、争い事にも利用されてしまいます。ダイナマイトを発明したノーベルは、どんな気持ちで、下界を見渡しているのでしょうか? 科学のもつエネルギーを負の方向へ向けないことが、大切。

 今回も挿絵は斎藤明子さんに提供していただきました。戦中・戦後を経験された斎藤さんの、反戦の気持ちが伝わってきます。


発行日 二〇〇三年四月
発行者  赤磐郡山陽町岩田六十三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会