はじめに

1)くすりの役割

からだの具合がどこも悪くない時には、私たちは「くすり」の存在を忘れています。ところが、いったん頭やお腹が痛くなったとき、怪我(けが)をしたときなどは、「くすり」のお世話になろうとします。また、自分自身が具合が悪くなくても、お父さんやお母さんなど周囲の人の具合の悪いとき、「おくすりをのんだら良くなるのではないかな?」と考えます。そして、お医者様や薬局で買った薬が効いて、体の調子がもとに戻ったとき、「とても良かった!」と感じます。
このように、『もしも…』のときに頼れるのが、「くすり」です。


2)くすりの歴史

昔から、世界中の人々は「くすり」を見つけることに、大変な努力をしてきました。
山に生えている植物の根っこや、木の皮、花、果実さらには鉱物(金、鉄鉱石、酸化マグネシウム、水晶など)を薬に使えないかと試しました。また、動物の骨や角(つの)なども薬にしました。
いくつかを紹介しますと、きれいな白色の花の咲くチョセンアサガオという植物の葉には、神経をしびれさせて感覚を麻痺させる働きがあります。江戸時代華岡青洲という人が、乳がんの手術をするために、このチョウセンアサガオをうまくを使って世界で一番早く麻酔を行いました。
時代劇を見ていますと、病弱なお母さんのためにその家の娘さんが、大変な苦労をして朝鮮人参を買うという場面が出てくることがありますが、この朝鮮人参には、弱ったからだの調子を整える作用があることがわかっています。いまでも血液のガンなどをわずらった人の体のだるさを改善するときに、朝鮮人参が使われることがあります。また、アメリカにおいては、現代病のアトピー性皮膚炎の治療に朝鮮人参が効果があるのではないかと、研究が進められています。

貧血の人の治療に鉄剤が使われますが、鉄のなべでお料理をするといった方法で使われることもあります。金はリュウマチという関節が固くなる病気の治療に、現在でも使われています。毒入りカレー事件で話題になっているひ素は、農薬のみでなく以前は梅毒のくすりとしても用いられていました。
また、イギリスにおいてパンに生えた青かびの中から、ペニシリンというお薬が発見され、それ以前は手の打ちようがなかった多くの細菌による病気も、治すことができるようになりました。ペニシリンの発見から15年後にストレプトマイシンというお薬が発見され(1944年…第二次世界大戦の最中)、これは当時若い人の命を奪うことで大変恐れられた「結核」という病気に対して非常な効果があり、多くの人を救うことができました。ペニシリンの発見以来今日まで、病気をおこすばい菌を殺したり、その生育を抑えるくすりは次々と開発されました。日本人もこの分野の薬の開発には、多くの成果を残しています。これをまとめて、「抗生物質」と名前をつけています。平成8年、全国的にO-157という食中毒をおこす菌が話題になりましたが、もしこの「抗生物質」がなかったら、もっと多くの人の命を奪ったかもしれません。そして、もっと大変なパニックを引き起こしたかもしれません。


3)くすりの副作用

こうしてお話をすると、くすりは人間にとって良い影響だけを与えるように考えがちですが、残念ながらそうではありません。人体には「ホメオスターシス」といって、常に同じ状態になろうという作用が働いています。この作用が崩れたときに病気になり、くすりを必要とします。くすりでうまく元の状態に戻せたとき、病気は治ったということになるのですが、人体はみんな同じ状態ではないので、同じ量のくすりを用いても、人によりその作用の出方は異なります。ある人にはちょうどよい量であっても、別の人には作用が強すぎて心臓が動悸を打ったり、眠くなったり、胃の具合が悪くなったり、下痢をしたり・・・することがあります。これをふつう「副作用」(好ましくない作用)と呼んでいます。
しかし「くすりの副作用」には、また別の意味も持っています。一つのくすりは、一つの作用を持つだけでなく、いくつかの作用を持っています。熱が出たときや頭が痛いときによく使われる、アスピリンは、痛みを止める作用・熱を下げる作用・血を固まりにくくする作用・・・などを持っています。痛みを止める目的に使ったときは、他の熱を下げる作用・血を固まりにくくする作用は副作用(主でない作用)になります。大人ではあまり起こりませんが、子どもでは痛み止め(アスピリンなど)を使って、体温が平熱より下がってしまった・・・ということはあります。また、川崎病の後で、心臓の病気(心筋梗塞)を予防するために、アスピリンの血を固まりにくくする作用を利用することもあります。このときの、アスピリンの熱を下げる作用・痛みをとめる作用は、副作用(主でない作用)になってしまいます。

4)くすりの相互作用(そうごさよう)

病気になったとき、一種類のお薬で治療をすることができれば良いのですが、時には何種類かのお薬を一緒に使わなくてはならないこともあります。くすりがからだの中に入ると、多くは肝臓というところを通ります。この肝臓で、くすりが効果を発する形に作り替えられます。そして血液に入って、全身へ送り込まれます。肝臓ではくすりに変化を与える「酵素」という物質が働いています。何種類かのお薬を使うとき、この酵素の取り合いになることがあります。そんな時、あらかじめ予想をした以上にくすりが効いて、「副作用」(好ましくない作用)がおこることがあります。

または、一種類の時にはちょうど良い具合にくすりが効いていたのに、別の薬を服用するようになったらくすりの利き方が悪くなり、病気の具合が悪化することもあります。
これらの現象を「くすりの相互作用」といいます。
この相互作用を利用して、一種類のくすりではうまく治療ができないとき、2種類以上の薬を少しずつ使って病気を治療することもあります。
このように、同時にいくつかの病院にかかってくすりを服用しなくてはならなくなった場合、または病院でもらったくすりと薬局で買ったくすりを同時に服用しようと思うときには、思わない作用がでることがありますので、お医者さんまたは薬剤師さんに必ず相談をするようにしてください。

5)薬物依存(薬物中毒)

「シンナー中毒」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
「ペンキ塗り立て」の新しい部屋に入ると、独特のにおいがして頭が痛くなった経験はないでしょうか?ペンキにもシンナーは含まれています。初めてシンナーを嗅いだときは、多くの人は「よいにおい」だとは感じません。ところが、何回かこれを嗅いでいるうちに、実際にはないものを見たり(幻覚)、聞いたり(幻聴)するようになります。そしてこのことが忘れなくなり、シンナーを嗅ぐことをやめられなくなることがあります。このことを薬物依存(薬物中毒)症といいます。特に依存症をおこしやすいのは、麻薬や覚せい剤などです。
麻薬・覚せい剤の問題は、欧米諸国、南米諸国では大きな社会問題になっています。麻薬などによって人生そのものを台なしにしてしまう若い人がふえているのです。
 薬物の中毒から、薬を得るために犯罪に走ったり、家庭が崩壊したりした例は数多くあります。個人の力ではどうにもならなくなり、治療施設でも限界がありますから、人間性そのものの崩壊につながる薬物依存症の恐ろしさを、もっと私たち日本人は知らなくてはなりません。
 薬物依存症の治療を始めてからも、禁断症状(体内からくすりが切れると、いらいらしたり、眠れなくなったり、幻覚や幻視を経験したり…すること)の苦しさに加えて、強い不安状態に苦しみ、完全に麻薬などから離れるまでに、数年もかかった例も少なくありません。
 また、欧米では麻薬や覚せい剤の注射器の回し打ちから、HIV(エイズウイルス)に感染した保有者が多く、やがてエイズが発症して命を落とす人も少なくありません。麻薬や覚せい剤は人間性を喪失させ、家庭はいうまでもなく、社会そのものの存立をおびやかします。
 この薬物依存症の問題は、けっして対岸の火事とはいえません。日本でも深く静かに潜行して、低年齢層にまで広まっているのではないかと、いわれています。
 麻薬などはちょっとくらい、1回くらいといった、興味本位やいたずらでも絶対に手を出してはいけません。このちょっとからやみつきになり、大事に至っているからです。

 6)まとめ

 いままでのお話で、「くすり」には私たちにとって、良い面とあまり有難くない面の二面を持っていることがわかっていただけたでしょうか?
 先人たちの試行錯誤の結果、現代の私たちに与えられた宝物である「くすり」を安全に使うために、お医者さんや薬剤師さんにわからないことはきちんと尋ねましょう。いいかげんな判断でくすりを使うことは、とても危険なことです。さらに興味本位でくすりを使うことは、先人たちの試行錯誤の努力(くすりの発見者だけでなく、そこに協力した患者さんの努力も)を踏みにじることにつながります。
 また、科学の進歩した現代においても、治療法のない病気はたくさんあります。先にお話した華岡青洲や、ペニシリンを発見したイギリスの科学者フレミングのように、日ごろから周囲の出来事を科学的に考えることを心がけていると、将来もしかしたら新しいくすりを発見することができるかもしれません。治療方法がない病気にかかった人にとって、このことがどんなに素晴らしいことであるか、皆さんは想像できるでしょうか?