あんたがた どこさ くまもとさ くまもと どこさ せんばさ |
こんな文句を口ずさみながら、鞠をついていた頃もあった。
今では蹴鞠と言えば、サッカー。鞠つきから連想するのは、バスケットボールか?
時代は確実に変化をしている。
子どもの遊びだけでなく、大人の考え方も、社会の在り様も。
『昔は良かった』『古き良き時代』『昭和三十年代を振り返る』はたまた『昔はこんなことなかった』などと懐古しつつ、現在の恩恵に与っている。
変化してゆく日常の断片を拾いながら、この一年を振り返ることにしようと思う。
変わり行くものと変わらぬものを対比しながら・・・。
昨年三月八日、赤磐市誕生。
山陽町という呼称が無くなる。
市長選・市議選が賑やか。
今までの役場が市役所に変更。
町立病院が市立病院に・・・。
建物は変わりなくても、どこかよそよそしい響きに聞こえる。
「市内にお住まいですか?」
「いえ、ネオポリス。」
(赤磐市内だよね、と心の中)
掛ける電話の冒頭では、「旧山陽町のさくら薬局ですが、」と説明をしている。
思い切って、「赤磐市のさくら薬局ですが」と言うと、相手方に「旧で言ってもらわなければ判りません。」と叱られてしまった。叱られる筋合いではないけどなあ?
待てど暮らせど 来ぬ人を
宵待ち草の やるせなさ
今宵は月も 出ぬそうな
(竹久 夢二)
携帯電話の呼び出し音が、暗い車両の中で鳴っていたという。
電車がマンションに突っ込んでしまった!
事故の引き金になったのは、僅か数分の遅れだという。
デジタル社会となって、一分の違いにこだわるようになってきていると感じる。
八時三十分と八時三十一分とは各々別の点の感覚になる。本当は繋がっているはずなのだが。
あの数分の遅れがなかったら、もしくは数分の遅れを受け入れる気持ちのゆとりがあれば、いつもの日常が今でも続いていたはずである。
早く、急いで、すぐに、
こんな言葉が頻繁に飛び交うようになった。
柱のきずは おととしの
五月五日の 背比べ
ちまき食べ食べ 兄さんが
計ってくれた 背の丈
きのう比べりゃ 何のこと
やっと羽織の紐の丈
この童謡を書いた作者は、一昨年兄に背丈を計ってもらっていた。昨年は兄が結核に罹り帰省することが出来ず、その年にその兄は亡くなったのだそうだ。だから、おととしの背丈が柱に残されていると、歌っているのである。
人生本当に一寸先は闇。
この一瞬を大切に生きていかなければ、と悲惨な事故を教訓に思う。
一分の違いを気にすること
この一分を大切に過ごすこと
この違い、判るようで難しい。
処方せん薬の登場
昨年四月一日より、薬事法の改正で医療用医薬品が基本的に零売出来なくなりました。
「なんのこと?」と思われる方々にちょっと説明を。
従来、要指示医薬品と呼ばれる医療用医薬品は、医師の処方箋もしくは指示書がなければ、お渡しをすることが出来ませんでした。しかしそれ以外の医療用医薬品は、薬局であれば小分けをして販売(これを零売と言います)することが、法律上許されていました。もちろん薬ですから、販売する場合にも、いくらかの注意は必要でしたし、時には医療機関への受診勧告をしなければならない場合もありました。これらの点については、零売を行う薬剤師の良識に委ねられていました。
しかしこのことはあまり知られておらず、多くの人々は医療用医薬品は病院や診療所において、又は処方箋を受けて薬局で受け取るものと理解されていたと思います。
ところが、近年ある地域で、零売を宣伝して大々的に要指示医薬品以外の医療用医薬品を販売する薬局が登場しました。このことを、厚生労働省が問題視をして、従来の要指示医薬品という制度を撤廃して、「処方せん薬」という制度を発足しました。
法の解釈からすれば、「処方せん薬」以外の薬は、零売できるということなのでしょうが、新制度の成り立ちを考えると、冒頭に書いたように、基本的に医療用医薬品は零売できないと考えるのが妥当と考えています。
法律の隙間をついた商行為だったのでしょうけれど、同業者としては釈然としない気持ちがあります。
昨年末に、男性型脱毛症治療剤『プロペシア』という内服薬が発売されました。特に重大な副作用というものは無いようですが、これは「処方せん薬」ですので、医師の処方せんが無ければお渡しすることはできません。又、保険適用ではありませんので、費用は全額自己負担です。
酢酸タリウム
この薬剤が、殺鼠剤であること、過去にイギリスで母親の殺人に用いられたことを、初めて知った。
日本で化学に興味のある女子高校生が、自分の母親の殺害目的にこれを使用したと知って、まず『どうやって入手したのだろう?』と思った。理科室から持ち出したのか?と思っていた。しかし、実際には薬局で購入したとのこと。
販売した薬局も、まさか殺害目的で使用されるとは、想像だにしなかったであろうが、これも同業者として、釈然としない。
そういえば、サリンという物質を知ったのは、優秀な大学で理系の学問を修めた若者が、それを使用して世間を震撼とさせたから。
その後・・・
砒素入りカレー
保険金目的の風邪薬殺人
ライブドア事件にからむ野口氏の変死。(まだ自殺と報じられてはいるが・・)亡くなる前に、近くの薬局で睡眠薬(市販することができるもの)を購入していたらしい。
薬の番人が必要なのに、誰も番人になれない現実が悲しい。
化学が好きな人も、興味の無い人も、みんなエゴイスト。
おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
お料理していた
においでしょ
卵焼きの においでしょ
「食育」という言葉を、昨年初めて耳にした。
食べるものから、子ども達の健康や生活習慣を見直そうということだそうだ。
小学校では、『朝ごはんを食べよう』ということが、保健委員会の目標となった。
薬局内にも山陽西小学校の一年生が作った「あさごはんをたべよう」という、可愛らしいポスターを貼った。このポスターを書いた少女は、卵料理が好物なのかな?目玉焼きにオムレツ、りんご・バナナ・牛乳・パン。野菜が忘れられているかも・・・。
メタボリックシンドロームという横文字の病名が登場。要するに昔の成人病。
糖尿病の薬を調剤することが多くなったと感じるこの頃。
しろやぎさんから
お手紙ついた
くろやぎさんたら
読まずに食べた
しかたがないので
お手紙書いた
さっきのごようじ なあに
残暑の厳しい時期に、郵政民営化の是非を問う衆議院議員選挙が行われた。
毎年三十兆円を越える借金を、次の世代に残すわけにはいかないということに異論は無い。
しかし、民営化されれば採算に見合わない地方の過疎地域が切り捨てられるであろうことも想像がつく。公でなければ出来ないことがあるだろう、とも考える。
真面目に考える反面、小泉劇場と称された、自民党と野党との選挙戦を面白がる気持ちも無いとは言えず。
「刺客」というなんとも物騒な言葉も飛び交う。
結果は、想像以上の自民党圧勝。
選挙の争点は確か「郵政民営化の是非」であったはず。しかし、いつの間にか「構造改革の是非」に摩り替わっていた。
まるでタイムトラベルしたようで、選挙の前と後が連続しない。
秋の夕日に
照る山 もみじ
濃いも薄いも 数ある中に
昨年の紅葉は、近年にない美しさであった。
雨があまり降らなかった為か
朝・晩よく冷え込んだ為か
理由はどうであれ、自然のすばらしい贈り物に、ただ感動する。
ふと、昨年の冬亡くなった筋ジストロフィーの長岡君に、金色になった金木犀を見せてあげたいと思った。
そういえば、JRの事故であの世に旅立った人々も、もうこの景色は見えないのだと思うと、悲しくなった。
君死にたもうことなかれ
すめらみことは 戦いに
おおみずからは出でまさね
形見に人の血を流し
獣の道に死ねよとは
死ぬる人のほまれとは
大みこころの深ければ
もとよりいかでおぼされん
(与謝野 晶子)
最近世の中全体が軽くなったよなあ、と感じることがよくある。
真面目に議論をしようとすると、
「そう堅いことは言わずに・・・」とたしなめられる。
さらには、
「黙っているほうが徳」
とアドバイスされることもある。
はたまた、
「一生懸命言ったって、どうせ判ってくれる相手ではない。」
というところに落ち着く。
自分自身の尊厳も守らず、相手の立場も理解しようと努めない。
厭世観にさいなまれようとする時、久しぶりに与謝野晶子の詩に巡り合った。
時代背景を思う時、あの時代によくぞ書いたと、喝采を送りたい。
大量破壊兵器は無かった、とようやくブッシュ大統領は認めた。
イラクの一般市民は、何の為に死んでいったのか?
アメリカ兵は、何の為に戦地に駆り出されたのか?
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壷に追われて
トッピンシャン
古い時代にも、権力に立ち向かわずに、庶民は上手に生きていた。
時代を超えて、変わらぬ知恵。
システムダウン
昨年十一月、東京証券取引所のシステムがダウンするという事件が起こった。年が明けて、ライブドアの堀江貴文氏の逮捕による取引件数の急増で、三十分取引時間を繰り上げるという事態が発生した。
株取引には縁がないのだが、いつの間にか日常の業務をコンピューターに依存しているので、この事件は他人事ではなかった。
昨年暮れあたりから、薬局内のコンピューターの動きがおかしかったのは感じていたが、年末の慌しさで、なんとか騙しながら使っていた。穏やかなお正月を迎えて、その修理に取り組んでいたところ、なんと全く動かなくなってしまった。どうしようもなく、始業日を迎えることになった。
まず窓口での一部負担金の計算が出来ない!仕方なく、電卓で計算をする。薬の在庫管理も不能。なんとかその日の三時ごろには、一部復旧をしたのもの、これが混雑をする日であったら、と思うと恐ろしい。
薬局を始めた頃は一台のコンピュータで仕事をしていた。あれから十四年、今では九台のコンピューターが動いている。
電気の供給が止まると、お手上げ状態である。阪神大震災のあった頃は、紙に患者さまの薬の履歴を残していたので、懐中電灯でもそれを読むことができたが、今は全てコンピューターの中である。
昨年暮れには、近年にない大雪の影響で、関東一円に停電があったらしい。私達の日常がとても脆い基盤の上に成り立っていることを実感する。薪ストーブが飛ぶように売れて品切れ状態というニュースに、頷く。倉庫に眠っている石油ストーブの点検をする。
このさくらだよりを書いている三月半ば、まだ壊れた機械は完全復旧していないのである。
とまらない 年を重ねて てんてまり 深い意味 無いが 口紅変えてみる |
整形外科の処方せんを受けているので、どうしても年齢の高い人と接することが多くなる。
よく口にされる言葉に、
「年を取るといやーね」とか
「年は取りたくないね」というのがある。
そうかな?とは思ってみるが、よく考えると、良き思い出もたくさんお持ちなのである。
口紅の色を変えるだけで幸せになる術を持っておられるのである。
青年のエネルギーを羨ましく思いつつも、高齢の方々の処世術の逞しさに勇気付けられる。
後 記
十二月の大雪、近年にない厳冬。ずっとここに投稿してくださっていた長岡君の死から一年。
薬局内の機械の故障。そして原因不明の車の故障。
なんだか今年は、春がやってこないのではないかと、そんな気分になりました。
日本全国を見渡せば、塾の先生が生徒を殺害したり、友達のお母さんに殺された小学生がいたり、可愛らしい小学生を連れ込んで殺害したり、遺族の方々の春を思うと、今年の桜の咲くことさえもつらく思います。
行き詰まった気持ちを奮い立たせてくれたのが、童謡でした。
歌の中に悲しみを読み込んで、生きてきた先代の生き様に勇気を得ることが出来ました。
素敵な挿絵は、斉藤明子さんにお願いをしました。
発行日 二〇〇六年四月
発行者 赤磐市岩田六十三ノ一
さくら薬局
http://www.sakuraph.jp/
印刷 財団法人矯正協会