さくらだより第13集

届かぬメール
 もしかしたら届いているかも?
一日に何度もメールボックスを開けてみる。そんな日々を過ごすうちに、今年の「さくらだより」を発行する時が、迫ってくる。

 ディフェンヌ型筋ジストロフィーという難病を持ちながら、周囲の人々に温かい思いやりを発信し続けた長岡功治さんが、一月二十二日未明旅立った。訃報を聞いたのは、当日の薬局業務の終了時間を見計らってかけてきてくれた、彼女からの電話であった。

「こんな時間に、なんかあったの?」と私。
「うん、良くないお知らせなんだけど・・・」と彼女。
「もしかして、功治さんに何かあったの?」と私。
「一生懸命頑張ったんだけど、今朝亡くなって・・・」と彼女は一瞬声を詰まらせた。涙をこらえている様でもあった。電話越しに、彼女が倒れてしまうのではないかと思った。
お通夜で、最後のお別れをしたにも関わらず、彼からのメールが届くのを待っている、自分に気がつく。

 幼い頃に発病し、人工呼吸器を装着しながらも、病院に入院することを嫌い、自宅で生活をしながら大学を卒業し、その後インターネットという方法でますます世間との繋がりを広め、友人との交流を深めた彼は、三十三歳という若さで旅立った。
今年の「さくらだより」にも寄稿してくださる約束であった。今、彼の想いをどこまで再現できるか、正直心許ない。
 しかし、それを書かなければ、今年の春はやってこないように思えるのである。

 

 

病気であること  
 彼のお宅を訪問させていただく時、食卓の上に薬袋が置いてあることがあった。職業柄、薬のことは気になる。当然であるが、彼の病気を治療する薬はまだ開発されていないので、時々の身体の不具合に対処する薬が袋の中に入っている。便秘の治療薬であったり、痰を出しやすくする薬であったり、時には抗生物質であったりする。
 私はその薬に目をやるだけで、特に話題にすることはしない。私が薬袋に目を向けたことを知っても、彼は薬のことを話題として取り上げることはなかった。そのことで、私は救われた。
一方で、人工呼吸器については、何度か話題に上った。

 「人工呼吸器をつけて生活をすることについて、随分考えたことがある」ということも伺った。私が想像するに、彼は病気である自分自身を疎んじてはいなかったと思う。
「生きている」ということについて謙虚であったと思う。『生きる』意味について深く考え、彼の周りでおこる様々な出来事に、慈愛の目を向けていた。それ故に、ちょっとした彼の発言にも、考え抜いたことが感じられ、その言葉はとても温かみを含んでいた。

不治の病であること
進行する病気であること
医療への期待と諦め
仲良しのお兄さんとの死別
同じ病気の友人との別れ

 幼い頃よりたくさんの試練に遭いながらも、可能な限り普通の生活をすることに、こだわりを持っておられた。
 淡路島でJAYさんという歌手のライブを計画・実行され、感動を共有させてもらった。その記念に、フウセンカズラを象ったペンダントを、同じ病気を持った仲間と一緒に作成された。そのペンダントの裏には、ライブ参加者の自筆のイニシャルが刻印されている。こんなに手間のかかることを、人工呼吸器をつけて、ほとんど動かない指でパソコンを操作して、段取りをしている。
 
 まだまだやりたいことが、たくさんあっただろうに・・・。


うつ病治療

 ここ数年の間に、うつ病治療薬という範疇の薬を調剤することが多くなった。
副作用が少ない抗うつ薬が市場に現れたことが、薬を使いやすくしたことはあると思う。この新しく開発された薬を使うことによって、うまく「鬱状態」から脱却された方を経験することもある。

 しかし・・・「本当に服薬でうつ病は解決できるのだろうか?」という疑問が拭いきれないのである。 
ゆがんだ社会を形成しておいて、そこに住む人間の精神が病んだら薬で治療しようという発想は、どこか違っているように思う。

 平等であるということが尊ばれて、他人と違うことが敬遠される。
道徳よりルールが尊重され、ルールに抵触してなければ、何をしても許される。
自分の利益と関係がなければ、見て見ぬふりを決め込む。
さらには、人のことより自分のこと、という考え。
どうせ他人(ひと)の金だから、という無駄遣い。
そろそろ私達は、社会のゆがみに対して勇気をもって立ち向かわなければ、何が正しいのかも判断できなくなるような気がする。国民皆が、抗うつ薬の服用者になるのではないかと不安になる。

 わけのわからない残忍な事件が、マスコミに載らない日はない昨今である。何かが狂ってきている。

「医療心理師」という国家資格制度ができるらしい。


自己責任
 イラク・ファルージャ近くで、日本人三人が武装グループの人質になった。目隠しをされ、縛られ、銃を突きつけられた映像に、背筋が凍るような恐怖。

 何故今、イラクに入国したのか・・・

 あまりの残虐な映像に、やり場のない憤りが募る。そして政府主導の『自己責任論』の展開。
その言葉が一人歩きするようになるといつの間にか、猫も杓子も自己責任。

 そしてあっと言う間に風化してしまった『自己責任論』。その間にイラクの惨状を伝えようとしたベテランカメラマンとその甥、青年ボランティアの命が消えた。

 イラクに入国をせねばならなかった人々の気持ちに寄り添うことなく、自己責任で片付けられては、浮かばれまい。


台風到来
 当地岡山は、気候温暖で天災とは縁の少ないことが自慢であった。従って、台風シーズンの台風の進路予想も「きっとここは逸れるだろう」という気楽な気持ちで見過ごしていた。ところが昨年は直撃。それも合計三回。季節はずれの稔りの時期に。
「池が決壊したら、浸かってしまうのかなあ・・」と不安におびえながら、台風の通過をただひたすら待った。
 いたるところで道路は冠水、田んぼは水浸し。強風でスレート屋根は吹っ飛び、街路樹は倒れる。
天災の恐ろしさを実感した秋であった。


電子薬歴導入
 三度の台風の合間を縫って、電子薬歴を導入した。
もともと一人の患者さまの「僕の薬の服用歴をフロッピーにしてもらえないかなあ。」と言われたことが、発端であった。三年越しに、なんとか出来ないものかと、チャンスを伺っていた。
 
 今年四月より施行される『個人情報保護法』とのからみもあって、ちょっぴり大変だった。毎晩、深夜まで残業。でもなんとか運用できるようになった。ただ、問題点の一つに、過去の服用歴が、集約できない、ということがある。現時点では、これが限界(だと思っている。)

 平成十六年十一月よりの服薬の状況は、全ての患者さまについて電子化できるようになりました。もし電子データーをご入用ならば、お申し出下さい。(ただしご本人にからの申し出に限ります。)



おかえりなさい
「どんな事情があるにせよ、このまま別れ別れは絶対におかしい。」と思っていた。しかしどうすることが良いのか、その術はわからなかった。

 だから、「家族が一緒になれますように。」とテレビの映像に向かって、ひたすら祈っていた。
どんな取引があったのか、ひとまず三家族が、日本で暮らせるようになった。
一昨年のクリスマスツリーには、早く一緒になれますように、と祈りつつリボンをたくさん結んだ。
昨年のクリスマスツリーには、よかったね、ともっとたくさんのリボンを結んだ。


ドンキホーテ連続火災
 テレビ会議システムを利用した、深夜の医薬品販売にチャレンジした「ドンキホーテ」が、次々と放火魔に襲われ、死者が出た。
天井まで積み上げられた商品の山が、狭い通路が被害を大きくしたのかもしれない。

 しかし・・・・、責められるべきは放火魔。ところが、責められてるのは、商品陳列をした「ドンキホーテ」。これって、なんだか変。

 最近おかしな理屈がまかり通るようになっている、と感じる。

 学校に刃物を持って押し入り、先生や生徒が襲われる。すると学校の安全管理が、問題になる。
ちょっと学校を訪問するにも、まず玄関でインターホンを押して玄関を開けもらって、玄関においてあるノートに記入をして、名札をつけなければならない。
確かに安全管理は大切。しかし「人に会ったら殺人鬼と思え」と教えることが教育?

 朝のスーパーで、乳児殺害。
スーパーにインターホンをつけるわけにはいかないし・・・。

 見知らぬ赤ちゃんだけれど、まさかこんな形でこの世を後にしなければならないとは、生まれた時には想像もしていなかっただろうに。怒りのやり場が無い。

コンビニに薬が登場
 コンビニエンスストアの存在があたりまえになったのは、平成を迎えるあたりからだろうか。
昨年秋には、ついにコンビニでも薬を販売できるようになった。

すったもんだはあった、らしい。
医薬品を医薬部外品に変更するとか、しないとか。
そんなある日、岡山空港の売店で、バフアリンを買い求めた。カウンターの上の小さなガラスケースの中にあるのを手に取って、レジに持っていった。その時は、同行の友人が頭痛に困っており、手持ちの薬は無く、空港内には薬局はなく、とても助かった。

 しかし、バフアリンはアスピリン喘息のある人は、絶対に使用してはいけない。ワーファリンを服用中の人も危険。糖尿病の薬を飲んでいる人も注意。
 もし飛行機の中で、喘息発作に襲われたら・・・と想像すると、医薬品をどこでも買えることが果たして便利なのかどうか、疑問。


中国野菜に農薬混入
 週刊誌の記事であったが、混入農薬が日本では禁止されている有機塩素系の農薬であったこともあって、目に止まった。
 生薬を使って、漢方調剤も行っているので、仕入先に電話を入れる。幸いにも、全ての生薬について、残留農薬の検査をしているとの返事を頂き、一安心。さらに今の日本の法律では、輸入される一部の生薬についてのみ、残留農薬の測定義務のあることを知る。
 食材に限らず、国内で調達できないものが増えて、日本の法律だけでは安心できなくなってきている。

米国における、牛の全頭検査の行方も気になる。

 食の安全も自己責任?もう、それは無理。

国花
北朝鮮・・・李
韓国・・・木槿
中国・・・牡丹
日本・・・桜と菊

 いずれの花も、それぞれに個性的で美しい。それなのに、国と国、国民と国民は、何故いがみ合わねばならないのだろうか。
 中国で行われたサッカーの試合。すさまじい日本バッシングに、たじたじとなる。
 異常なまでの韓流ブーム。その一方で、韓国大統領の戦後の賠償責任追及発言。
 北朝鮮の拉致問題と経済制裁。
互いが咲く時期をわきまえている花の方が、人間よりも賢明ということなのか。

世の中に たえてさくらのなかりせば 春の心は のどけからまし 
在平 業平


赤磐医師会病院院外処方箋一年

 一年前の早春、赤磐郡医師会病院(当時の名称)の院外処方箋発行を目前に、地域の住民の方々には、不安感を与えたことと思う。

「時勢だからしょうがないね。」
「医療費が高くなるのでは?」
「すぐ薬が揃うの?」
「どうして院外処方箋になるの?」
「年寄りに機械(FAX機)なんか使えないよ。」という声多数。
あるいは、現在服薬されている薬を予め持ってきて見せてくださる方も、あった。

 一方受けて側の薬局は、院外処方箋切り替え時にはどこの病院の時もそうであるが、その病院の処方の特徴に慣れるまでは、不安感がぬぐえない。

 地域の中核病院が院外処方に移行する場合、その病院の門前に何軒かの薬局が出来るのが、よく見かけられる光景である。しかし今回の場合は、地域にある薬局が力を合わせて、中核病院の処方箋を引き受けようとしたことで、医薬分業本来の姿に近づいたのではないかと、自負している。

 全国的に見ると院外処方箋発行率が五〇%を越えて、院外処方箋も珍しいことではなくなった。
つい数年前までは、処方箋の記載されている内容に興味を示される人は少なかったが、最近は処方内容について質問される人も増えたように感じる。

 心配したFAX機の運用について、一年を経過した今、約半数の患者さまが利用されている。
 FAXにて予め処方内容が伝わると、薬品の調達が速やかにできることはもちろん、薬局側でその処方内容について、ゆっくり考えることが出来る。このことが、とても有難い。

病気の治療方法の選択が、患者の意思を尊重されるように変化してきている。といって病気は突然にやってくる。薬の助言者としての薬剤師を味方につけておくのも、悪いことではないかも?
『かかりつけ薬局』の本来の目的。


後記
 この四月から、藤沢薬品工業と山之内製薬が合併して、アステラス製薬という名前の会社が出来る。
なじみの名前が消えるのは、寂しい。規制緩和の政策の影響なのか、グローバリゼーションの結果なのか、企業同士の合併・外資の導入が頻繁である。
 このことが病気の治療方法の発展に結びつくことであれば、国民としては歓迎である。万が一、薬の過大使用に結びつくようになるのなら、憂慮しなければならない。
 筋ジストロフィーという難病の治療薬の開発を待ち望んでいた長岡さんが、無念のうちに旅立って迎えた春。風邪を引くことを、何より恐れていた彼は、いつも春になるのを待ち望んでいた。
変化の渦の中にあることを自覚する。温かな陽光に、希望を託す。
素敵なイラストを、斉藤明子さんが提供してくださいました。


発行日 二〇〇五年四月
発行者  赤磐市岩田六十三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会