さくらだより第19集

ノーベル平和賞
 今回は薬の世界とは少し離れた、しかも隣国中国の話題から始めようと思う。二〇一〇年十月八日、中華人民共和国内で母国の民主化運動を続けられていた劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞が発表になった。上海万博に窺える目を見張る経済発展の一方で、一党独裁によるひどい思想弾圧があることを伝え聞いていたので、ノーベル賞財団の粋な計らいに心底感心した。

 大国・アメリカ合衆国民の多くを『イエス・ウイ・キャン』の合言葉で歓喜の渦に巻き込んだオバマ大統領が受賞したノーベル平和賞である。中国政府の反発は予想されたが、一方で世界の世論によって、動かぬ壁が変化することも期待した。

 その後に起こったことは、尖閣諸島での衝突事件、朝鮮人民軍による延坪島砲撃事件、中国政府による報道規制、メドベージェフ大統領の国後島訪問・・・・発表から半年を過ぎた今、劉暁波氏の消息は不明で、思想弾圧に関して変化があったようにはない。

 広い領土と十三億の人口、四千年の歴史と独自の文化を持つ隣国。日本国内の沈滞ムードと相反する経済発展を脅威に感じないではない。しかし歴史を振り返ると、漢字・仏教・絹織物・中華料理・漢方薬・・・と、数多くの人々と文化の交流があったはずである。ここのところ隣国と敵対することが多かったなあと思う。友好的関係を保つということについて、改めて考えてみる。

  『核の抑止力』という考え方が正当化されつつある雰囲気に、恐怖を感じるこの頃。


「売薬の祖 万代常閑展」  
 昨年のさくらだよりに万代常閑について書いたところ、タイミング良くゴールデンウィークを挟んで、岡山県立博物館で企画展が行われた。

 ~百聞は一見にしかず~である。どのような書物を読んでも実物に勝るものはない。展示品を見ていて、何度も生薬の処方を書き直している跡を見ることができたことは『医師 万代常閑』の苦悩に触れたようであった。又、丸剤を練る水は、大切に受け継がれた花崗岩を用いて精製していたということも、今回初めて知り得たことであったし、その智恵に感心した。

 想像をしていた以上に小粒の丸剤の原型が機械から押し出されて、それらが見事に丸く整形されて美しくコーティングされる江戸時代の人々の技術には頭が下がった。さらには、反魂丹を包んでいた包み紙にも興味をそそられた。変形や変質を防いで、しかもこぼれ出ない包み方。現在我々が知っている薬包紙の包み方ではなかった。帰宅後、博物館で見た包み方を試みたが、眺めただけではうまく包むことが出来なかった。

 過去の歴史の中で誰かの手によって作られ、包まれた小さな丸剤が、長い時間を経て目の前にあることに、不思議 な繋がりを感じた。

 それにしても、唐人から教えてもらったという反魂丹の最初の処方内容は判らなかった。隣国・中国には、その処方内容や調合方法を記載した書物があるのかもしれない。たとえ再現できなくても、処方内容だけでも知りたいと思う。


北海道旅行
 昨年七月一日から三泊四日で北海道旅行をさせていただきました。この間にご迷惑をおかけしました方々には、申し訳なく思っています。

 当初は台湾旅行を企画していました。理由は、薬局に処方箋を持って来られる方で中華民国(台湾)国籍の方が、「是非一度台湾にいらっしゃい。」と強く勧めてくださるので、お言葉に甘えて台湾を案内していただこうと思っていました。

 ところが、韓国の哨戒艦が北朝鮮の潜水艇によって沈没されるという事件が勃発し、黄海方面への旅行は自粛すべきと考え、急遽旅行先を北に変更をしました。この時はまだ北方領土問題には火種がありませんでしたので・・・・。

 旅行先は、日本最北端の礼文島と利尻島、富良野・旭山動物園。天人峡温泉にも泊まりました。宗谷岬にはたくさんの風車が廻っていました。礼文島、利尻島へは稚内からフェリーで約二時間。水平線しか見えない海を航海しました。時刻表で確認すると、サハリンから稚内も二時間でした。

 お花の島と賞される利尻島でお花の説明をしてくださるバスガイドさんは、誇らしげでした。残念ながら、絶滅危惧種に指定されているランの一種『アツモリソウ』の群生には出会うことができませんでした。海にはたくさんのアザラシが群れを為して、遠くから見るとちょっとした岩のようでした。

 涼しいはずの北海道で、旭山動物園の動物たちは、昨年の猛暑のためにぐったりしていました。又、梅雨のないはずの北海道で、豪雨による土砂崩れの為に、天人峡温泉への唯一の道路がふさがって宿泊客と旅館の従業員が取り残されたという事故は、私達が旅行から帰ってから起こりました。

 北海道に出かける前に、薬局に来られる旅行経験者の方々から、「北海道は真っ直ぐな道がずっと続いていて、ほとんど対向車に遭わないよ」とか「ウニもイクラもじゃがいもも・・・食べ物が美味しいよ。」とかアドバイスを頂きました。どのお話もその通りでしたが、やはり実際に体験しなければわからない驚きというのもたくさんありました。その中でも一番は、「ものすごく広い!」、ということでした。

 北海道のバスガイドさんは、岡山の吉備団子が丸い形をしていることをご存知ではなかったです。
 黄海周辺が安全になれば、台湾に出かけてみたいと考えています。


『山下 清』展
 体温以上の気温が連日続いて身体も心も憔悴した頃、裸の大将と称され、日本各地を気の向くまま旅をして、出会った光景を貼り絵という独自の技法で表現をした『画家 山下清』の作品展が岡山デジタルミュージアムで行われた。

 彼が生きたのは、関東大震災前夜から日本万国博覧会前年まで。日本国中が裕福とは言えない時代にあって、放浪を繰り返した各地で食事を食べさせてもらったり、軒を貸してもらったりしている。もちろん彼の人徳によるところもあるのであろうが、今の日本では考えられない。どこかの駅の駅舎に洗濯物を干していたら駅の人に叱られた、という彼自身の日記も残っている。今の日本に洗濯物を干せる駅舎があるだろうか?

 子供の頃にひどい消化不良を煩ったので、食べ物には慎重であったという。見ず知らずの旅人に大切なお米でむすびを握って持たしてあげられる優しさを、我々はいつから無くしたのだろうか?

 昨年は上海万博が盛大に開催された。マスコミでは大阪万博を境に日本は経済大国へと発展したので、今後中国は日本を凌ぐ経済大国へと発展するであろうと報じている。

 経済発展がもたらした恩恵に浴していながら、山下清氏の生きた時代の国民性を 懐古する感情をナンセンスであると判ってはいる。 しかし・・・   倉りん実ちて 即ち礼節を知り  衣食足りて則ち 栄辱を知る はどうなのか?と首を傾げる。

 新卒者の就職先が決まらないという報道に、胸を痛める毎日。


郵便制度悪用事件
 一昨年、この事件で厚生労働省の女性官僚が逮捕された時には、はらわたが煮えくり返る思いがした。私たちの仕事を管轄する厚生労働省という『お上』に対する信頼を失った事件であった。

 障害者の名前を利用して企業利益を上げようという目論見に官僚が手を貸すとは、いったいこの国はどうなったのだろうと思った。
  その時点では、地検内部で証拠物件の改ざんが行われているなど想像だにしなかった。

 昨年秋、事態は一転した。 村木厚子さんの書かれた獄中録を読んで、 これほど簡単に真っ当な人間を犯人に仕立 て上げることが出来るのかと、背筋が凍った。

千羽鶴
 未だに消息不明の横田めぐみさん。ご両親がお身体に鞭打って救出活動を続けておられる姿に、なんとかならないものなのか・・・と焦りを感ずる。

 米軍基地のない生活を長年夢見ておられたであろう、沖縄県民。
 不当な権力に迫害を受けた人々。
 治療方法の無い病気を患った時。
 為す術を失った時、祈りを込めて千羽鶴を折る。
 昨秋のある日、最愛の奥様を病気で亡くされた人から『折り紙』の資料が郵送されてきた。それは昭和十年頃の和紙に包まれていた。 「後は引き継いでくれると思って送ります。」というお便りと共に。

 このお便りが届くまで、『ORIGAMI』が世界に通用する日本の文化であるということを知らなかった。薬局の仕事である薬包紙の包み方が、『折り紙』であることにさえも、気がついていなかった。

 昭和三十年代、近くの医院でもらう粉薬は、一つ一つ人の手で包んであった。昭和四十年代に薬学部を卒業して病院に勤務をした若き薬剤師が、どうしても上手に早く薬を包むことが出来なくて、薬を包む機械の開発に関わったと聞いたことがある。昭和五十年代、周産期医療が提唱され、乳児死亡率低下と共に未熟児医療が進展した。当時の未熟児の粉薬は、滅菌薬包紙を使って手で包んだ。先輩薬剤師の職人技を眺めたことを思い出す。これを服用する患児の健康を祈っていたことであろう。 平成に入ると、薬包紙で粉薬を包むことが珍しくなった。

 さて、届いた『折り紙』の資料。どのように引き継いで行けば良いのか、思案する。調べるほどに奥が深い。まずは資料の中で簡単と思われるいくつかを折ってみて、その折り方をさくら薬局のホームページの新着情報コーナーに掲載することにした。

 昨年話題となったユーチューブに『川﨑ローズ』の折り方が動画で掲載されていた。大変複雑であるが、出来上がりはまさにバラの花。驚きである。筑波大学の三谷 純先生が、JAVA(プログラミングの言語)を用いて三次元の立体折り紙を提唱されている。次世代の折り紙の予感。どちらも平面に複雑な山折りと谷折りの線をつける所作は共通している。

 今年のお正月明けに、一人の男性が千羽鶴で作った菊の花を、薬局に持ってきてくださった。花弁・葉・花芯すべて鶴で構成されており、一輪の菊に五十羽の鶴。見事!

金生丹
 昨年暮、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが泥酔をしてけんか沙汰になり、南座の顔見せ興行に出演出来なくなった。まねき看板も掲げられた後の出来事であったので、興ざめのする事件であった。

 しかしこの事件がきっかけで、歌舞伎の世界における伝統や系図について知ることになったのは、まさに「怪我の功名」であったかもしれない。江戸後期の人気歌舞伎役者七代目市川団十郎(後の五代目市川海老蔵)が歌舞伎の口上の中で『金生丹』という薬を宣伝している錦絵に偶然出会った。現代のテレビコマーシャルの原型であろう。当時のアイデアに感心をした。

 この『金生丹』効能について調べてみると、<万能薬>とある。悪酔いには効能がないのだろうか?


和解勧告受入拒否~イレッサ~
 薬を扱う側として、「夢の新薬」と謳われた肺がん治療薬イレッサの副作用死に関する、司法の判断には注目をしていた。和解勧告という形で解決の提案がなされたことは、やや拍子抜けがした気分であった。イレッサに関する過去の経過を振り返ってみた。

 二〇〇二年初夏、治療法が無いといわれた肺がんを治すことが出来る内服薬があり、しかもそれには副作用がないらしいという噂を耳にした。個人輸入もされているということも聞いた。この年の八月末、異例の早さで保険適応になった。この時は、国の英断に喝采をしたのを覚えている。秋になって、どうも深刻な副作用の報告があるようだということを、雑誌で読んだが、元来抗がん剤には副作用はつきものである。自分自身の中で、感心度はそれほど高くなかった。暮れになって、薬害被害者会の方々の報告を読んで、大変なことになるかもしれないという予感がした。この時点で医療提供者側は、著効例があるということで、取り合わなかった。二年後米国FDAは、延命効果が認められないと発表。昨年、特定のタイプの肺がんに効果があると発表される。

 この十年間、右往左往する情報に翻弄された患者さんやその家族の気持ちを思うと、真実の情報を捉えることの出来なかったことをとてもすまないと思う。

さくらいろ

 白い画用紙に桜の花を描こうとして悩んでいる。桜のイメージ色は薄桃色。しかし花弁の色は、限りなく白に近い。春霞の中で遠目に眺める時、桜の花の本来の美しさが引き立つ。

 この花を国花と定めたのは、日本人の気質に通じるところがあるのだろうか?  昨年春に米国議会でトヨタに関する公聴会が開かれ、今年春に電子制御システムには欠陥が認められなかったと結論されたニュースは、一人の日本人として喜んだ。

 昨年は世界の中で、日本人としての自信を失う事件が多かったように思う。こんな時には、伝統文化に触れてみるものよいものである。社会の変革の中で民衆の精神を支えてきた芸術には、心を奮い立たせる力を宿しているように思う。幸いにも、昨年は国民文化祭が岡山県で開催され、赤磐市内随所で『アートラリー二〇一〇』が同時期に開催された。 一人のヒーローを求めるのではなく、皆で力を合わせて美しく、たおやかに輝きたいものである 希望を桜に託して・・・。

後 記

 今、中東で民主化運動が広がっている。インターネットが一役買っている。さらに、インターネット上で『フェイス・ブック』というツールが流行しているらしい。実名で顔写真を掲載して、意見交換や友人作りをするのだという。当初ネット上では匿名なので、気楽に発信が出来るということで利用者が広まった。だからインターネットの中の情報は玉石混合であり、仮想空間であることで了承をしていたはずである。

 昨年暮に、画面とは似つかないおせち料理が販売されて問題になった。いつの間にか私たちの意識は、実像空間になったのだろうか?仮想の技術を実像にまで高めた人間の智恵に驚いている。一方で、実物に触れなければ感じられない『感動』というのはある。北海道を旅行して、山下清展を見て、国文祭を観賞して改めて痛感した。

 一般薬の販売方法について、今議論の真っ只中ではあるが、近い将来変化するであろう。しかし、簡単に入手できるようになればなるほど、薬の特性、さらには健康であるということ、そして長い歴史の中の一時期を生きているということの意味について、熟慮しなければならないと思っている。


発行日 二〇一一年四月   さくら薬局 印刷  財団法人矯正協会