さくらだより第4集

住み慣れた街
 夜明けの地震で目を覚ました私は、袖戸に一人で住んでいる祖母を思い、身の凍る思いがした。連絡は全くとれない。17日昼過ぎ、私は父と袖戸に向かうことにする。
 姫路辺りで全車が前に進まなくなる。広島ナンバーのタクシーも渋滞の列にいる。皆同じ気持ちなのだ。反対車線からやって来るのは、ガラスの割れた車に満員の人と荷物。皆、神戸のナンバープレートだ。
 今まで以上に緊張する。やっぱり、ニュースは本当なんだと。

 18日昼過ぎに、やっと祖母と会える。家は全焼だった。
 お年寄りがマッチで家の中を照らしたことが、火事の原因だったとか。でも、周囲はその老女の安否を気づかう。
 当時のことを祖母は家の床にはガラス片が散乱していたが、靴下を履いて寝る習慣が幸いしたのだと笑って話す。
 また、歳と共に物ばかり増えていたのが、かえってすっきりしたと強がる。しかし知人との電話では涙を流していた(無事で良かった…)。
 2カ月あまり岡山で過ごしたが、住み慣れた神戸の様子が気になるらしく、行きつけの病院で受診するとの口実で新幹線再開を待って帰っていった。結局、そのまま入院することになったが、そこまでして帰りたかった気持ちを皆が知っていたし、誰にも止められなかった。その後祖母が残していった全財産のプラスチックの引出し3個を神戸に送った。被災された方のその後に思いを重ねる。



戦後50年
 沖縄の婦女暴行がマスコミに取り上げられた時、こんなに大問題になるとは思わなかった。太田知事の強固な『代理署名拒否』という行為がなかったら、長い沖縄県民の苦汁に目を向けることはなかっただろう。
 歴史を変えるのはもしかしたら、たった一人の信念かもしれない。

 米国政府が、沖縄県民の“犠牲”を認めたとの発表。

 同じ地に咲く、桜の花。翌年も変わらぬことを期待する。



猫の選択
 夏の暑い日、子猫が薬局の前に捨てられた。「ニャーニャー」と情けなく泣く姿につい根負けして、シシャモと牛乳を与えたのが運のつき。それからは、猫のごはんを作って出勤することが日課。
 ごみ捨てに同伴して、途中からかくれんぼ。驚かそうとして、飛びかかったら用水路にドボン! びっくりしたね。
 初めての雷が恐ろしくて、靴箱の上でガタガタ震えていたよね。ある晩、薬局に遅くまでお客様でかまってあげなかったら、塀の上で丸まっている。「ごめんね」と声を掛けても振り向きもせず。側によって顔を近づけると、一点を擬視。その先には、オスの猫。子猫はいつの間にか乙女に。そして、車で国立岡山病院を往復して広い世間を経験した彼女は、新しい世界を求めてひとりで旅に出ました。
 二ャンコちゃん、あなたにはふりまわされたけれど、楽しいひと夏でした。はじめて迎える冬をどう過ごすのですか?



生きたかった
 1月12日、自ら治療の続行を断念したひとが逝った。
 彼はICUのベットの上に寝たきりで、ひとり天井を見つめ自分の人生が長くないことを悟り、『死』を選択した。
 彼の選択に医療スタッフや家族はこぞって反対したが、最後の力をふりしぼって周囲を納得させた。そして腎不全・肝硬変によるすぎましい苦しみの後、意識を失い、3日後に逝った。

 “死は敗北ではない、人生のゴールである”

 彼の枕元で歌った子守歌。やっと終えることのできる人生を笑顔で送ってあげれば良かったと、今では思う。
 死んでようやくはずされた挿管チューブの入っていた気道の奥の食道は、細くなっ
ていた。彼の長く苦しい戦いを証明するように……
 『死』を決意した時、彼が言いたかった事の一部でも代弁したいと思う。いつの日か。



情報公開
 『非加熱製剤のHIV感染の危険性を厚生省の一部は知っていた。それにもかかわらず、非加熱製剤の使用を認めていた』----この記事は、衝撃であった。何を信じるべきか?

 昨年は「できるだけ薬の内容を、患者さんに知っていただこう!」ということを心掛けてきた。私達のしゃべりかたがまずくて、患者さんに混乱だけを招いてしまったこともあるかと、今反省している。
 ある会合で記者のひとりが「わたし達には、薬の情報が伝えられる準備が出来ているのですよ。いったい、何を恐れているのですか?」と発言された。
 国民全体が情報を求めそれでも隠されている事を、疑う時代になったのかもしれない。

 諸刃の刃である薬。なんとか巧く使いたいという、切なる願い。つきあう程に奥深し。



お知らせ
 『くすりの安心手帳』というのを、ご存じですか?
 今、服築されておられる薬の内容を記入した手帳です。
 ご入用のかたは、お近くの薬局にご相談ください。これを携帯して医務機関を受診したり、薬局でお薬を購入されますと、お薬の“のみあわせ”による弊害を防止することができます。



後記
 昨年の桜の頃は、日本中がサリンの恐怖に震撼としておりました。車の運転中、何度検問されたことか! 地下に降りることには、躊躇しましたよね。
 そしてテレビでは何度も防毒マスク姿を見て、ストレスで自分の毛をむしるカナリヤに心を傷めました。なんだかとっても、恐ろしい一年であったように感じています。
 今年こそは、穏やかな一年であって欲しいと祈る気持ちで、第4号を発行させていただきました。
 事故で不慮の死をとげたM君、Kさん……長い闘病の末、旅立たれたYさん……のご冥福も合わせてお祈りいたします。

発 行  1996年4月
発行者  赤磐郡山陽町岩田63-1
 さくら薬局
 TEL: 08695-5-5510