とおりゃんせ、とおりゃんせ
ここはどーこの細道じゃ
天神様の細道じゃ…
この唄に子殺しの意味が含まれていようとは…。
昨年一年は、次々に報道される幼児虐待のニュースに心が冷えるようでした。これも時代を象徴しているのかもしれません。
貧乏に耐えかねての子殺し。心の貧乏による幼児虐待。先の見えない不景気も、その原因の一つなのかもしれません。いつの時代も子供は犠牲者。
今年は菅原道真没後千百年の記念の年。
春の嵐が、寒い冬の終わりを告げ、春の雨が草花に力を与える。今年の桜の開花は、異常なほど早い。
生きていたいと思いながら、理不尽な暴力によって、あの世へ旅立つことになった同朋。池田市の小学生、ニューヨークでのテロ事件の犠牲者、戦火に巻き込まれたアフガニスタンの市民。なんと多くの悲しみが、たった一年の間に次々と発生したのか…と溜息をつく。
美しいこと、美しいと感じること、を描写してみたいと思います。心が荒まないように。
お辞儀
その人は両腕を抱えられるようにして、門のところへ出てこられた。そして何も話されずに、ただ深くお辞儀をされた。そのお辞儀に呼応するように、道の反対側にいた参会者の人々はお辞儀を返した。まるで波が寄せては返すような光景だった。
お葬式での一場面。お辞儀をされたのは、ご主人を亡くされた大正生まれの女性。こんなに気品のあるお辞儀のできる人が、まだおられるのだと、その時の光景がまぶたの裏に焼きついている。
「年をとるのは、嫌だね。」と多くの人が言われる。そうなのかなあ…。若いということは、可能性を秘めているということだし…とも思う。しかしあのお辞儀は、年齢を経てこそのものだと思う。謙虚でもなく、貫禄でもなく、あるがまま。
ニューヨークでの思い出
昨年はN・Yの街が何度も報道されたので、思い出した一場面がある。
そこは五番街にあるティファニーの二階。エレベーターが開いて、一人の女性が下りた。肩からショールをはずして、店内へ入った。五月の季節に似合う、深緑のワンピース姿だった。ちょうどその女性の対面にいた私は、その一連の行為のスマートさに圧倒されてじっと見つめていた。距離が離れていたので、容貌などはわからない。美しい人とは、こんな人のことなのだろう、と思った。
一階へ降りると、ブランド品を買う日本人客でごった返していた。
美しい風景
寒さに弱い身体の私は、「冬眠」の日々が続きます。今年もやっとその長い冬が終わり、穏やかな春を迎えることが出来そうです。少しでも春が訪れる気配を感じると、本当に嬉しさが込み上げます。春の美しさは自然の風景や雰囲気や人々の様子からも、感じることができます。ところが、最近は私も「美しさ」への感性が鈍くなっている気がします。特にものの姿・形の美しさには気付いても、身近にある場面で「美しい」と感じる事は少ないようです。
想い出してみると、かけがえのない出会いの場面、心から嬉しいと思った場面など、美しい光景が、沢山甦ります。しかし、本当はもっと身近なところに美しいものが溢れているのに、無頓着になってしまっている気がしてなりません。実際、意識してみれば、身の回りには、本当の「美しさ」が見つかります。
ひとつあげると、自分の欲に関係なく、人のために身体や心を動かすということは美しいもので、私は毎日その美しい心との触れ合いの連続で生きています。私はトイレ・食事・入浴はもちろん一人では何も出来ないので、何をするにも家族や介護支援センターの方々にお世話になっています。それは私が日常生活を快適に過ごす為にしてくれる行為であり、親であるとか仕事であるという立場は関係ありません。そして、無愛想な私にも笑顔で話しかけてくれたり、些細な気配りなどから優しさや暖かさが伝わってきます。ありがとうという言葉は、そういう美しさをしっかり感じ取ってこそ意味があるはずです。
自分が関わることでなくても「なにかをしてあげたい」また「話をしたい」、「会いたい」と心を動かすという美しい光景ははどこにでもあるものです。しかし、このような何気ない生活の場面ひとつひとつに、美しさを見いだすことが出来れば、もっと広い心で物事を考えられ、人にもっと優しくなれるような気がします。大切なことを何気なく見過ごしてしまわず、自然に美しいものを感じるようになりたいです。
(長岡 功治)
<注釈>
長岡功治さんは、筋ジストロフィーという病気で、現在では人工呼吸器が片時も手放せません。しかしご自宅で療養を続けながら、多くの友人と交流を結んでおられます。名物になりました、自宅でのたこ焼きパーティーでは、タコだけではなく、イカ、エビ、コーンフレーク入り、そしてチーズ入りやチョコレート入りも。
これも長岡さんを中心とするご一家の、チャレンジ精神旺盛なお人柄と、人を大切にされるお人柄によるものだと思います。私もお邪魔をする度に、パワーをもらっております。
うつくしいもの
「つらいことや悲しいことは、世の中にあふれている。しかし、世の中には美しいものも、同じようにあふれている。」
悩んでいる人には、なかなか他のことが考えられない。他のことを考える心のゆとりがないからだ。何かに囚われている精神は、日常のあちこちに潜むうつくしいものに気づかない。そこには些細な変化では壊れない心の障壁がある。その障壁は外界の景色を見えにく
くするのだ。
彼はその障壁の中に悩みや悲しみや苦しみの鎖で囚われている。
だから彼には美しいものが見えない。何気ない親切に笑顔を返しても、それはそれだけのものでしかない。
しかし・・・。
鎖を解き放つ鍵はある。
彼は囚われているが、それ以上に自ら囚われることはない。
感情に流されているばかりでは何も起こらない。
生きようとする限り、彼はいずれそこから立ち去る力を得る。
鎖を解く鍵に気がつくなり、鎖を引きちぎるなり。
世は桜の季節。
夏にはその美しさを忘れているかもしれない。
が、見なければ思い出すこともない。
散ってしまってからでは、見ることもできない。
そして、見なければ見えない。
(清水 直樹)
<注釈> さくら薬局のレジの後ろに貼ってある、写真入りのカレンダーにお気づきでしょうか?
この写真の作者が、清水直樹さんです。彼独特のアングルと加工で、それぞれの花の個性を表現しておられます。『あのタンポポ、きのうは咲いてなかったのに。』は、彼の独り言。
パソコン教室 アップロードについて
インターネット、パソコンという言葉が特別な響きを持たなくなり、時代に乗り遅れまいととりあえず機械を買ったものの、使い方がわからず書店へ足を運んでみてパソコン関係の書物・教材の多さに驚いたことはないでしょうか?または本は買ってきたものの、読むのは一部分だけ。そんな参考書が次第に山積みになってはいないでしょうか?
数年前に比べて、カラー、図解入り、など一見大変見やすく解りやすくなったようですが、それでもあまりにも種類が多く、パソコンを教えている私でも書店に行って「これぞぴったり!」という参考書にめぐり合うことは難しいです。
一方ブロードバンド(高速通信)の普及により、わからないこともインターネットで解決する時代…。
人とのふれあいが希薄になってきているように思います。
いまさら人には尋ねられない、教えてもらってもすぐわからなくなる、基礎知識から習わなくても今自分がやりたいことだけ教えて欲しい…そんな方を対象とした「ワンポイントコース」を新設しました。Word・Excel・デジカメで写した写真の加工、画像作成など五十分/千円で承っています。
また機会の操作なって真っ平ご免…というアナログ派には、小物印刷も承っています。
少量の名刺、会報、チラシ、ポスターなど少ない部数から印刷いたします。
一度尋ねてみてください。躊躇している貴方も、新しい世界が開けるかも?
連絡先:山陽団地3丁目4の15
℡ 0869-55-4617
河原まで
お薬手帳のこと
今ご自身や家族の使っている薬の名前と規格を正確に言えますでしょうか? 又、過去に副作用を経験した薬の名前を覚えておられますか?
多くの人は、白い小指の先ほどの(?)小さな錠剤とか、金色の台紙で小さな薬…と言われたり、子供の頃に使った薬なのだけれど…と言われたりします。ピリンアレルギーとペニシリンアレルギーを混同されておられる人もおられました。
こちらはできる限りの想像力を働かせて、何の薬であるかを突き止めようとするのですが、時にはどうしてもわからないことがあります。一方で、何種類もの薬を服薬されておられるにもかかわらず、正確に薬の名前を教えてくださると、感激することがあります。
薬剤師であっても、医療用に用いられる薬の名前の全てを正確に言える人は、残念ながらごく少数だと思います。
今年より医療費抑制の必要から後発品が今まで以上に利用されるようになると、益々聞いたことのない名前の医薬品が使われるようになるでしょう。
一方で、昨年は過去に使われた血液製剤や乾燥硬膜でC型肝炎に感染したり、ヤコブ病を発症したりすることが、問題になりました。
そこで使用した薬の履歴を、一人一人が記録して携帯していただくことが必要ではないかと思います。今までも「お薬手帳」というのはありましたが、薬の名前をカタカタで書いてお渡ししても、ただの記号ではないかと思ったりしたので、積極的にお勧めしませんでした。
今年からは、できるだけ多くの人に記録を持っていただこうと考えています。また電子データ-として、フロッピーなどで保存して持っていただくことも、現在検討中です。(もう少しお時間を下さい。)
外国に出かけられる機会の多い方には、少しお時間をいただいて成分名を英語で記載させていただくことも考えています。
独自ドメインを取得しました
平成十四年一月より、独自ドメイン(汎用ドメイン)を取得しました。ホームページ(ウエブページ)を開設して、丸五年。当初はホームページそのものが珍しかったのですが、今ではあたりまえになりました。
五年前は首相官邸のそれを訪問すると、話題になったものです。昨年からはメールマガジンが配信されています。
地方の小さな薬屋が、どんなことをここに載せるのかについて、試行錯誤をしております。インターネットを通じて薬や医療用具を販売することも考えてみましたが、どうも小さな地方の薬屋の役割ではないような気がします。
今は公表された薬(医療用薬および市販薬)の副作用や注意事項を載せています。次々と発表される情報の数々。時には、私たちもあれはどうだったっけ・・・と自分たちのホームページを見て確認することも。開設以来、専門の人には依頼せず、スタッフの中で試行錯誤を繰り返しています。
http://www.sakuraph.jp/
理不尽な暴力
世界貿易センタービルに、二機の民間機が突っ込むこと。アフガニスタンにビンラディン氏なるものが隠れているという理由で、破壊活動が行われるということ。炭疽菌の恐怖に脅かされること。
米国民の感情を逆なでするという理由で、配信を制限される映像や音楽。
知らないうちに、C型肝炎に感染し癌の恐怖に怯えること。
本当は隔離される必要がないのに、何故か隔離され続けたハンセン氏病に罹患した人々。
偽装表示。
なんと多くの理不尽な暴力が存在するのか…と思う。
一方で小泉首相の靖国神社参拝について、色々な議論がなされた昨年夏。戦後五十年を経ても、戦犯扱いされる人たちの存在。
何が群集を戦争へと導くのか、無関心であることも一種の暴力なのかもしれない、と思う。
十年
平成四年七月に開局して、十年。当時小学生だった人も、もう大学生。
山陽自動車道の開通、阪神大震災、オウム真理教、消費税率のアップ、食中毒、バブル崩壊、地域振興券の配布、生体肺移植の成功、介護保険の導入、大型ドラッグストアの開店、狂牛病、農協高月支店・観音寺支店の閉鎖。
自分自身の価値観が、世間の出来事に左右されている実感さえも湧かないほど、慌しく日々が過ぎてゆく。
「くすり」も変化した。バイアグラの登場・ピルの解禁により、性についてずいぶんオープンになった。パニック障害を治療する薬の登場により、ストレスと身体症状について考えるようになった。インフルエンザも薬で治療できるようになった。しかし…と思う。
「くすり」は道具であって、どらえもんのポケットには、なり得ないのだと思う。
後 記
四月三日、一部の地域では雛祭り。外は桜が満開。こんなに早く桜が満開になる年は初めて。
いつしか桜の時期に「さくらだより」を発行することが恒例となり十回目となりました。今回は早くから、美しいと感じることをテーマにしたいと考えていたのですが、改めて考えてみるととても難しいことでした。
何時の間にか咲いて、知らない間に散る道端に咲く名前も知らない花へ眼を向ける。固く冷たい地面から、小さな新芽が覗いていることに感動する。そうしているうちに、あたりまえのことが美しいことだと思えるようになりました。
前回に続いて、斉藤明子さんに美しいものというテーマで、たくさんの挿絵を書いていただきました。紙面の都合上未掲載分は、ホームページへ掲載させていただきます。
皆様の幸せをお祈りしつつ。
発行日 二〇〇二年五月
発行者 赤磐郡山陽町岩田六三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会
斉藤 明子さん ギャラリー