さくらだより第1集

リトマス試験紙
 7月終りのある日、「リトマス試験紙ありませんか?」と言って二人の小学生の男の子が入ってきた。
 「ごめんね、今はないの。取り寄せることはできるけど……」と私。
 「今日いるんだけどー」と彼。
 「トイレ借してくれますか?」と別の彼。そして、二人はトイレをすませて帰って行った。
 『なんだ、トイレだったの……』と思う私。
 夏休みの自由研究に必要だったのね。小さな紙きれが、色の変わる不思議を楽しんで欲しいと思う。普、庭の葉っぱにビニール袋をかぶせて、そこの空気の液性を実験した時のなんともいい気分だったことを思い起こす。
 昼下がり、子供達が学校から帰ってゆく。この子供達に、試験管を握る楽しさを伝えたいと思う。

 さくら薬局の胡蝶蘭も、バイオテクノロジーの産物です。

みのり
 大学時代の友人達が、子供を連れて遠路やって来てくれた。彼女達が母としての話に興じている間、子供を連れて外に出る。
 神戸育ちのS君「おばちゃん、ハサミかして!」
  私「何するの?」
 S君「ないしょ」
  私「内緒では貸せません」
 S君「ええから、かしてーな」
  私「あかん!」
 S君「ちょっと来て……あの、キンキラ(稲の上のスズメよけ)を切るんや」
  私「あほなことせんといて。あれは、おばちゃんのやないの!!」
 S君「えーやんか、イッコぐらいー」と、そこで目の大きな瞳ちゃんが「おばちゃん、あの赤いお花(彼岸花)で首飾り作って……」と助け船。

 私達は、首飾り用の彼岸花を求めて、田の畦道を歩くこと一時間。帰りのバスの中で、二人はついに寝入ってしまいました。都会育ちの私も、その昔、あのきんきらを切ってみたいと思ったかも? ごめんね、Sくん。この子たちが大きくなる頃、このあたりはどんな様子になっているのだろ……



年賀欠礼
 友人の子供の訃報を知ったのは、年賀欠礼の葉書だった。
 遊んでいて、用水に転落しての脳死だったという。信じられない。慰めの言葉も咽頭の下で止まってしまう。
 生きてきた時間に関係なく“死”は誰にも平等である。
 そんな“あたりまえ”のことに動揺する。7月にオープンして五ケ月の間に、あの世に旅立たれた方もおられる。改めて、明日は今日の続きでないことを思う。今日会える人を大切にしなければ……と思う。

 ジングルベル、クリスマス、シクラメン----師走の慌しさが、悲しみをも巻き込んでゆく。




 中国の医学----中医学----に魅せられて、勉強を続けている。漢方薬の材料は、草根木皮に始まり、動物、鉱物などおよそ自然界に存在するものすべてかと思われる。それも採取場所や時期によって、さらに煎じ方、薬の剤型、使用量によって効能が違うという。誰が試したのか、誰が伝えたのか、長い時間の中にある人間の思惑を考えると、その薬を知っていることを、不思議に思う。今、目前に小さな粒がある。そこに込められた人間の気概を思う。
 「雑草」という言葉に、我身の無知を知る。



さくら
 「どうして“さくら薬局”という名前なのですか?」と尋ねられることがある。名前を付ける時、考えたことは、平仮名で子供にでも読めるという条件であった。

 今、盲目の琴の名人宮城 道雄の弾く『さくら変奏曲』を聴く。哀歓を含んだメロディが胸の奥に響く。
 両手にすくった花びらが、風に舞う。舞う前に、むしゃむしゃと食べてしまった星野 富弘(※注) の気持ちが、少しだけわかる。
 目の見えぬ人も、身体の不自由な人も虜にする花。我ながら、大それた名前をつけたものだと思う。



 ※ 星野 富弘…… 脊髄損傷で首から下が麻痺したため、口に筆をくわえて花の絵を書いておられる方です。
平和
 カンボジアで、岡山県警の警察官が亡くなった。その前には、日本人ボランティアの銃殺。二人とも三十年足らずを生きて、亡くなった。彼らが命の危険を犯してまで守ろうとしたものは、何だったのか……せめて一言、残しておいて欲しかった。二人が殺されたことも、歴史の中に風化される。そうしなければ人は生きてはゆけないのだろうけれど、とてもむなしい。せめて精一杯二人の死をくやしんで、ニュースを聞く。人間とは、おろかな生き物である。
 それを肝に命しておきたい。
 50年前を繰り返してはならない……

 お二人のご冥福を祈りつつ、さくら薬局には、忘れな草が咲きました。


後記
 昨年7月1日に“さくら薬局”をオープンして、お陰様で一年を迎えることができました。医薬分業の形式を採ることにより、薬局まで足を運んでいただく御不自由を皆様におかけすることになりましたこと、恐縮に思っております。ことに雨の日、雪の日、台風の日には、その思いがことさらでございます。
 はからずも薬の道に足を踏み入れた者といたしましては、多くの方々が薬のことに興味を持っていただけるといいなあと思っています。皆様とお薬のことをお話しながら、次の世代へより良いアイデアを残してゆきたいと思っております。それが、私の考える医薬分業でございます。
 皆々様への感謝の念を、花にして、これを作成いたしました。御一読いただければ、幸甚でございます。

発 行  1993年
発行者  赤磐郡山陽町岩田63-1
 さくら薬局
 TEL: 08695-5-5510