さくらだより第22集


 ソチオリンピックを間近にして、「バイオリンの為のソナチネ」という曲の作曲者が別人であったこと・そして作曲者の耳が聞こえないという障害が偽りであったかもしれないことがニュースになった。
 本当の作曲者であるという人が会見で、「たとえ作曲者が別人であっても、(曲は良い曲なので)自信を持って競技をして欲しい。」と言われた。そう言われても、男子フィギュアの高橋大輔さんにとっては、「なんでこのタイミングに!」と、意図的な外圧を感じられたのではないのだろうか?
 
 昨年暮れのこと。そろそろお歳暮の段取りを始めようかと考えていた矢先、有名ホテルのレストランでの芝エビ偽装から発展して、百貨店の商品までも「ブルータス、お前もか?」状態になってしまった。高級ステーキ牛肉が、実は脂肪注入の成形肉であったとは、見栄を張って買い物をした気分まで、見えぬ誰かにあざ笑われたようである。
 
 お手頃価格でホテルのレストランで芝エビ料理(実はバナメイエビ)を堪能できたのだから、『嘘も庶民の味方では?』という理屈には素直に頷くわけにはいかない。といって偽物を見抜くほどの舌は持ち合わせていない。
「おいしいね!」と感激しながら、脂肪注入の成形ステーキを食べていたかもしれないと思うと、ちょっと残念!

薔薇は穂崎のBさん作

花器は殿谷のTさん作

レース編は馬屋のTさん作


降圧剤「ディオバン」に関する嘘
 血圧を下げるだけではなくて、脳梗塞の発症を予防する効果もある、という宣伝で他の降圧剤よりも多くの市場を獲得した。しかし実はそのような効果は証明されていなかった、ということで今薬事法違反の疑いで刑事事件にまで発展している。

 このことを一年半ほど前に知らされた時の感想は、降圧剤としての効果が否定されたわけではなく、予想外の副作用が報告されたのではないので、薬の宣伝活動の中ではよくあることであまり重大なことに捉えていなかった。血圧をコントロールできていれば、脳梗塞の発症は抑えられるのではないだろうか?とも思っていた。その後、臨床研究結果(事実)に改ざんがなされたのではないのかという疑惑が持ち上がった。報道を見る限り、製薬会社の社員が研究に関与したことがひどく問題視されているが、そのこと以上に、初めに結果ありきの研究が行われた(行われようとした?)ことが、問題ではないかと思う。

 かつてコレステロール値を下げる薬が開発されて、コレステロール値は低ければ低いほど長生きできるという宣伝文句で、市場を席巻した。これが間違いであることを提唱する一部の識者の声が、長い間表面化されなかった。コレステロール値の低い群の人たちの死亡率が上がっているのは、もともとその集団の中には初期がんの人の割合が多かったからだという説明を聞いたことを思い出す。
 後から考えればおかしいのだが、その時は不思議と納得させられてしまったのである。

 『嘘も方便』という諺がある。
 お誘いを断る時、「あなたのこと嫌い」と言えばいくら本当でも、これは失礼。「別の用事が入っていて」と、嘘をつくのが思いやり。
 丹精を込めて作った会心の料理でも、「たくさん作ったので、上手に出来なかったけど、おすそ分け」も、少し嘘。

エーシー 
 平成二十三年三月十一日、東北大震災が起こって津波の映像が放映をされた。あまりの悲惨さに、すべてのコマーシャルが自粛となり、広告機構のコマーシャルに置き換わった。「エーシー」という音が耳についた。

 その広告の内容は、子宮頸がんワクチンの接種キャンペーンであった。その後、昨年四月一日よりこのワクチン接種の定期接種が行われることになっていた。その日のこと、インターネット上に「ワクチン接種の差し止めを・・・」とこのワクチン被害の患者団体が声を上げていた。これはいったいどうしたことなのか?と、調べることにしたが、なかなかどのように判断をするべきか、わからない。先進諸国でもこのワクチン接種は行われている。

 ワクチン接種は、病気の治療と違って、健康な人が受ける医療である。しかも公衆衛生に関与することなので、接種をする人が少なくてはその効果は期待できない。
 昨年三月中旬衆議院厚生労働委委員会で、とがしき議員(薬剤師)が、副作用報告などを基に質問をしている記録をインターネット上に見つけて、「取りあえず詳細が判るまでは、定期接種は差し止めるべきではないか?」と不安になった。さて、このことをどうやって周知すべきか・・・。薬剤師仲間に働きかけてみたが、このワクチンの有用性を刷り込まれている周囲の薬剤師の反応は鈍いものであった。さらに調べるうちに、このワクチンで予防できるヒトパピローマウイルス感染は、ごく一部であることも判ってきた。

 そこでせめて赤磐市内だけでも接種を自粛することは出来ないか?と考えて、市会議員に話をしてみた。厚生労働省に話を聞いて下さったが、その答えは重篤な副作用報告は一例しかないとの返事であったのである。その対応に、また薬害に苦しむ少女を増やすことになるのではと、だんだんと危機感すら感じるようになった六月、積極的な接種を中止するように厚生労働省が発表をした。
 
 四月一日から六月までの間、薬局の掲示板には、ワクチン接種を自粛するように張り紙をしたが、ホームページに掲載をすることは躊躇した。患者団体の副作用報告、とがしき議員の質問内容、ワクチンの効果などから判断すると、声を上げなければならないと思う一方、一人でその結果を受け入れることが怖かった。


鎮魂
 山口・島根県が集中豪雨に見舞われている時、薬局の旅行で沖縄に居た。沖縄は例年にない晴天続きであった。摩文仁の丘から穏やかな太平洋を眺めた後、沖縄本島北側海岸沿線をドライブする。山側に沖縄独特のお墓(亀甲墓)が見える。ここもかつては防空壕になったのか?と思うと、地面の底から戦争の犠牲になった人々の声が響いてくるように感じる。私たちが通った道路べりのサトウキビ畑は、あまり手入れがなされていなかった。その光景は、「サトウキビ畑」の唄を思い起こさせる。

 私たちが宿泊した場所は、恩納村。東シナ海の海の色は青緑色で、澄んでいた。街中にはブーゲンビリアが咲いて、パイナップルに似た実を付けたアダンという木が植わっていた。沖縄というと豚肉料理を思い浮かべるが、牛肉も美味であった。地元産のゴーヤをはじめとする有機野菜やシークワーサー・マンゴをはじめとする果物も美味しく種類も多くて、旅行前に聞いた「沖縄に行くのだったら、食べるものには期待しない方が良いよ」という忠告は、当たらなかった。

 観光産業に力を注いでいる沖縄県民の“おもてなし”の表れだと感じる一方、個別にお話をさせて頂いた地元の、しかも年配の方の中に、本土からやってきた私たちに対する打ち解けられない感情を感じた。
 朝、寝床の中で戦闘機の音を聞いた。起き出して支度をしていると、学校の校内放送が聞こえてきた。

 沖縄本島北端の美ら海水族館。
時間があまりなくて駆け足で見学をすることになったが、それでも沖縄の海が如何に美しいのかを知ることになる。深海魚の美しさ・サンゴ礁・大きなエイの優雅な泳ぎなど今でも印象に残っている。自然環境を守らなければ・・・と、名護市長が市長選で訴えていたことが頷ける。

 北端から同じ道を那覇市まで戻る。途中、宜野湾市内を走行すると、行けども行けども米軍基地のフェンスが続く。フェンスの向こうは手入れをされた芝生。ニュース画像でよく見る『基地反対』という看板は見当たらなかった。

 車を置いて、モノレールで国際通りを訪れた。繁華街であった。
お店の人々も、観光客である私たちを歓迎してくれたように感じた。

 旅行前日、「沖縄に行くのだったら、那覇市内の伊勢海老のお店に行くと良いよ。」教えてくださった方があった。少し道に迷ったが、無事行き着くことが出来た。沖縄と伊勢海老は結びつかなかったが、味は美味であった。店内は、箏の演奏(六段の調べ)が流れて、香の香りがしていた。

 帰りの那覇空港では厳しい植物検疫が行われていた。ここが琉球国であったことを感じた場面であった。


石原 徳夫さんのこと
 元山陽町議で、社会福祉協議会会長をされていた方。平成二十六年一月にご逝去された。お若い頃の事故で片足が不自由でおられたので、赤磐医師会病院で会合があると、帰りをご一緒させて頂くことが数回あった。ほんのわずかな時間であったが、車中でお話をして下さったことを今思い起こしている。その中でも忘れられない話があるので、ご本人の了解を頂くことはできないが紹介したい。

 平成十九年三月、赤磐医師会病院で日曜日に小児救急医療を行うことになり、その薬をどうするのかが問題になった時のことである。解決策がなくて、本当に悩んでいたが、誰に相談をすることも出来ないでいた。いや思い当たるところには相談をしたのだが、解決できなくて悩んでいたと言った方が正しい。この時には国立岡山医療センターでも小児科の夜間・休日診療が始まって、近隣の薬局が輪番でその薬の調剤をすることになったが、当初予想しなかった問題が噴出していた。救急医療の中で、医師の過重労働が社会問題になり『立ち去り型サボタージュ』という言葉も生まれた頃である。
 この時石原さんが言われた言葉は、今でも忘れられない。
「子供に関わることだからね、皆で考えないといけないよ。赤磐市も巻き込んで、皆でね。」

 私に能力がなかったので、赤磐市を巻き込んで解決をするということは出来なかった。時が過ぎて、古山先生が小児科を開業され、ザグザグ薬局さんが赤磐医師会病院の日曜日小児救急の薬を引き受けてくださることになり、今に至っている。このことは石原さんに報告させて頂いたが、解決方法が無くて最も悩んでいた時、声を掛けて頂いて、とても有難かったことをお伝えできぬまま、あの世に旅立たれてしまった。

 
ねむの木
 葉が夕方になると閉じて、その様子が眠ったよう見えることから、この名がついたらしい。薬局の裏にこの木がある。恐らく鳥が種を運んできたのだろう。知らない間にずいぶん大きくなった。
 花言葉は、歓喜。
 ソチ五輪での、葛西選手の活躍は、レジェンド(伝説)という言葉と共に歓喜の渦を巻き起こした。遡ること十六年前の長野五輪の際、吹雪の中見事なジャンプが決まって、感動のもらい泣きをしたことを思い出す。そのことを当時のさくらだよりに書いたような気がして、第七号を取り出してみた。
 すると、今は亡き長岡功治さんが、着床前診断について意見を書いている文章に出会った。
 彼と彼のお兄さん(故人)は、ディフェンヌ型筋ジストロフィーという難病を患っていた。お兄さんは、『ある朝目覚めたら、足が動いて立つことが出来た。でもこれは夢の中だった。夢の続きは、また見よう』という内容の詩を残しておられる。
 もう一度皆さんに長岡功治さんが残された文章を読んでいただきたくて、彼のご両親の許可を得て、その一部を再掲させて頂いた。

 (前略)
 確かにこの病気は、両親や周囲の人に様々な負担を掛けることになります。
 しかし五体満足なことが幸せかと言えば、決してそうは思いません。
 (中略)
 技術者には障害者に対する観念に少なからず憶測があること、心の溝があることを感じます。確かに私も病気の撲滅を望んでいますので、研究努力がなされていることは認めます。
 ただし望むのは治療であって、生まれる人間を選ぶことではないのです。
 そのようなことが一般的に行われるようになると、障害者、老齢者の存在が否定的に見られ、生産性の高い人間のみ価値があるという意識を根付かせる危険性があります。
 生命を扱う問題に対する慎重さが欠如しているのではないでしょうか?
 人間によって生命を操るということが本当に行われてもいいのでしょうか? 
 私は、いかなる困難があろうともありのままに生命を与えるべきであり、不自由でも、例え幸せを感じられない時も、人は生きてゆかなくてはいけないと思うのです。そして私は出会った人々のお陰で、時には道に迷う事もあったけれど、この身体で生きてきたことで多くの大切なことを得ることが出来ました。
 私はこの世に生み出してくれた両親に改めて感謝します。


 これを書いて下さった五年後の一月、彼はあの世に旅立った。
 奈良県生駒山の桜を見るのを、毎年楽しみにされていた。


一般薬のインターネット販売
 インターネットで薬が買えるようになると、薬の正しい情報を購入者に提供できないではないか?対面販売であれば、顔色・声色など販売者の五感を働かせて、購入者にふさわしい薬を選択できるはずだというのが、ネット解禁反対論者の言い分である。
 若者であればドーピング薬剤になる可能性はないか?年配者であれば転倒につながる危険性はないか?・本来の使用目的を外れて、薬を使おうとしているのではないか?など考えを巡らすことはある。
 しかし、インターネットでなければ得られない情報もあることを、昨年は子宮頸がんワクチンの副作用問題で経験をした。
 意図的な圧力が働いたのか、本当に知りたいと思う情報が、インターネット以外の方法ではなかなか得られなかった。製薬メーカーは、今回は全くあてにならず、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PAMDA)からも情報発信は無かった。

 道具の使い方を誤らないようにしなければならない。


後 記
 数年前から、一度沖縄を訪れてみたいと考えるようになっていました。琉球国として大和とは異なった文化を培った国が、琉球処分により日本国沖縄県となり、そして全島が戦地になり米国の領土を経て、再び日本国となって基地問題を背負っている現状を、若い世代の人と一緒に、日本人の一人として実際に目や耳で見たり聞いたり感じたりしなければいけないのではないだろうかと思っていました。
 昨年、その機会を与えられて薬局旅行として行ってきました。実は出発直前に出かけるのには具合の悪いことが起きて、一度は中止を考えましたが、ある方の「いっていらっしゃい!」という力強い後押しの一言で、旅立ちました。
 沖縄の成人式は常に話題に上りますが、映像で見るような若者には一人も出会いませんでした。“琉球村”という琉球国時代を紹介する観光施設で働く若い女性と一緒に写した写真を、岡山に帰ってから送ったところ、彼女からとても丁寧な便りが届きました。
 旅行期間中、薬局を閉局してご迷惑をおかけしましたお詫びと、沖縄旅行の報告をわずかですが、ここにさせて頂きました。


発行日 二〇一四年四月
発行者 赤磐郡山陽町岩田六三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会