さくらだより第12集

SARS(重症急性呼吸器症候群)

 平成十五年春、初めて耳にする病名に恐れた。毎朝テーブルの上をアルコールで拭いた。空気を殺菌する機械を導入した。室内の空気の入れ替えにも、気を配る。しかし姿の見えない相手に対して、本当のところ何をどうしたらよいのか、不安だらけ。
 薬物治療の方法も不明。
 ウイルスを除去するマスク(N95)は、全く手に入らない。テレビの映像は、マスクをして街中歩く人々を映し出している。中国では、女性のブラジャーをマスクにしているという。前代未聞。 世界地図には、患者の発生状況が表示されてゆく。それにしても何故日本にそのウイルスが入ってきていないのだろうか?と疑問に思う。これも不安。
  何の不安も疑問も解消されることなく、春が終わる頃SARSの流行も終息される。来春に不安が残る。
 ちょっとだけ正体を見せてよ!


イラク戦争勃発
 二〇〇三年三月十九日。大量破壊兵器が見つからないまま、戦争への大義にも納得できないまま、たった一人の大統領の判断によって、戦争が始まった。これでよかったのか?反対を表明する世界各国の民衆デモも実際のところ、戦争を中止させる力にはならない。
バクダットが連合軍に占領されて、サダム・フセイン像が引き倒されて戦争終結だという。十二月十四日、日本では赤穂浪士の討ち入りの日に小さな地下壕からサダム・フセインが引きずり出される。忠臣蔵の芝居中での炭小屋の吉良
上野介のよう。その姿は、サティアンの天井裏に隠れていたというオウム真理教のグルにも似ている。
そして・・・壊れて(壊して?)しまったところの戦後処理とやらに、日本の自衛隊が派遣された。

「戦争」ってこんなことなの?


一生懸命想像力を働かせて、イラクに住む人々の様子を思う。きのうまで家族で食事をして仕事や学校に出かけていたのに、さっきまで元気で遊んでいたのに、今は家族の誰かが亡くなったり怪我をしたり、家が燃やされたり、・・・突然銃を構えた人達が家の中に入ってきて、勝手に家の中を荒らしてゆく。街中を戦車が、往来する。「いったいこの町は誰のもの?」というやり場のない怒りを爆発させるだろうな、と思う。
戦場がたまたまイラクであっただけで、日本が戦場にならないということは無い。しかし、何も出来ない私。せめて一日も早い平和を祈ることをしようと思う。

咲いた桜
一昨年まで、葉っぱばかりでちっとも花をつけなかった薬局東側の桜の木に、昨年春は初めて花が咲いた。
いいことがありそうな予感。

君も一生懸命なんだね・・・と、桜の木に向かってつぶやく。

今年の三月始め、まだ固い蕾のその木に、鶯が止まっていた。
梅に鶯も良いけれど、蕾の桜に鶯もなかなか良い構図。



病気が治ったよ
夏の昼下がり、一人の中学生になったばかりの少年が入ってこられた。

「もうお薬飲まなくて良いんだって!」

とっさのことで何のことか、あまりの彼の嬉しそうな表情に、彼の言おうとしていることを早く理
解しなければ・・・と焦る。その後をお母さんが入ってこられる。春休みに心臓の手術をして、その後しばらく経過を観察していたが、もう心配ないとのお墨付きを主治医からもらったとのこと。
彼は小学校の低学年から脈拍が多くて、すべての運動は禁止。苦いお薬を飲んでも、あまり効果がない。彼の夢は野球の選手。しかし、運動禁止の彼には、遠い夢。小学校の卒業時には「ノーベル賞を取りたい!」って寄せ書きに書
いてあった。
彼のとても嬉しそうな姿に、よろこびの輪が広がる。元野球選手のお兄さんが選んだ、グローブをプレゼントする。
『夢はきっと叶うよ。頑張ってね。』
大きくなった少年の背中にエールを送る。

それにしても彼の飲んでいた薬の苦いこと!
彼の口癖、
『ぼく、がんばるよ。』


この大きな空は青く澄んでいる
鳥たちの美しいさえずりさえも
聞こえてくる
空には数羽の鳥たちが舞っている
自由なのは帰るべき所があるからだろう
鳥たちは止まり木無しで飛び続けるのはとても孤独でつらい
止まることのないというのは孤独で苦しいだけ
何も生み出さない
少しは止まり木で休むことは敗北ではない
またそこで力を蓄えて行くんだ
疲れたら休んでいいんだよ
終わることのないこの大きな自由という空へ


一昨年夏、吉井町生涯学習センターで個展をされた藤原智将さん(享年二十三歳)の遺作。
自由にならない身体という運命を背負った青年の心の葛藤が、周囲への励ましになる詩。
彼の作品は是非もっと多くの人々に触れてもらいたいと思っていたら、詩集の製作を計画されていると伺う。待ち遠しい。


『北風も』
   作・長岡滋康

北風もいつか南から吹いてくる 
みんなその日を待っている
春の気配の今はなくとも
        
 これは亡き兄の残した言葉で、掛け軸にしてずっと家に飾ってある。

去年、まさに、言葉通りの出来事が起こったのである。
 私は、幼い頃、七夕の短冊に「足が治りますように」と書いたことがあった。
 それは、祈りなどというようなものではなく、決められた台詞のようにただ何となく…。
 もちろん、そうなればいいだろうなと願ったことに違いはない。けれど、あまりに現実離れしていて、本当に自分の夢なのかどうかも分からなかった。
 本当に治るなんて事はおとぎ話の世界でしか起こらないと思っていた。
 その頃は、私がかかっている筋ジストロフィーは、原因も病気の実態も全く分かっていなかった。研究が進められ、少しずつ解明されていくニュースは気にとめていたが、現実的な展望は何も見えなかった。
 ところが、ついに去年、希望の光が差し込んだ。
 短冊に書いたことが、おとぎ話でも、夢でも、どうにもならないことではなくなったのである。

神戸大で合成DNA使用による治療の試みを開始し、効果が確認されたというニュースが届けられたからだ。ついに実験段階ながら「治療」への一歩が踏み出されたのだ。
たった数行の目立たないニュースだけれど、不治といわれる病もいずれは治るかもしれないということは、筋ジスに限らず、大きな出来事ではないだろうか。
今は奇蹟であることも、いずれは変わるという事の証明になった。

もちろん、多くの人々を救うべく、医療の可能性を広げ続けた研究者の方々への敬意も忘れてはならない。
将来、私自身が治療出来るようになるのかまでは、まだまだ見えないので、ピンと来ないというのが正直なところだ。けれども、どんなに、遙かに遠い願いでも、先が見えなくても諦める必要はない。 
そう思えば、また頑張れるから。

私自身は、さらにもうひとつ先の奇蹟を静かに待ちながら、頑張って、生き続けたい。
そう強く思う。

 やはり、まだ祈るという心境にはならないのが本当のところだ。

 しかし、今回のニュースのように奇蹟が奇蹟でなくなる事もあるかもしれない。
 その奇蹟を静かに待ちながら、頑張って、生き続けたい。

そう強く思う。 (長岡功治)

阪神セリーグ優勝
二〇〇三年九月十五日、星野監督のもと、阪神タイガースがセリーグ制覇を果たす。何でも十八年ぶりとか。たまたま大阪の長岡家でその瞬間に酔いしれた私は、帰路に熱烈なファンの暴動に会うのではないかと不安になったが、そのようなことはなく無事帰岡することが出来た。
大阪府知事も、俄か阪神ファンになったとか。嬉しいことは共有したくなるもの。道頓堀に飛び込む人々をテレビの画面で見て、『馬鹿なことを・・・』と思う反面、何となく気持ちもわかる。何しろ十八年の思いが込められているのだから・・・。優勝から数日が過ぎて岡山市内の商店街を歩いていたら、知らないうちに六甲おろしの一群に巻き込まれていた。
思い返してみれば、二〇〇三年の嬉しいニュースは、阪神ターガースのこと・メジャーリーグに挑戦した松井秀喜選手のこと・長島ジャパンのアテネオリンピック予選における全勝など、野球に関することが多かったようだ。
国民皆が、無心に喜べることを探しているような、昨今である。




両宮山古墳に新事実
二〇〇四年の一月末、両宮山古墳の近くに多くの人が集合する。何事が起きたのかと驚いていると、この古墳に二重周濠があることが発見されて、その現地説明会とのこと。地元が脚光を浴びるのは、なんとなく誇らしい。
ずいぶんな権力者の墓らしい。
どんな風に住民を統治して、どんな政治をしていた人なのかな?
この土地に暮らした当時の人々は、幸せだったのかな?
本来埋葬されてあるはずの埴輪が、この古墳からは見つかっていないとのこと。
約千五百年前のことに、想いを馳せる。

争い事などなく、民衆が穏やかに生活をしていた・・・と想像したいのだが、新発見の濠は何も語らず・・・。
祈り
長島茂雄さんが、脳卒中で入院、というニュースが流れる。ご本人の名前と病名とがかけ離れているので、ニュースを聞いても思考回路が繋がらない感じがする。翌日の会見で、長男である一茂氏が「回復を、お祈りして下さい。」と言われるのを聞いて、『祈る』ことを多くの人が実行すれば、願いが叶うような気がしてきた。
この原稿を書いている三月末、北朝鮮に残された拉致家族の人達は、お互いに会うことを許されていない。
この問題に関わっている人々は、恐らくずいぶんな努力をされているのだろうと想像できる。しかし、固く閉ざされた扉は、一向に開く気配を見せない。

考えてみれば、日々事件が多すぎて、自分と直接かかわりの無いことに対して、ずいぶんと無関心になっていることに気付く。

強く思うこと・・・祈ること。
そんな私でも出来ることを実行してみようかな、開かない扉を開ける為に。
狂牛病・鳥インフルエンザ


牛丼の吉野家に長蛇の列。安価だからではない。しばらく食べられなくなるから・・・。原因は、米国で狂牛病が見つかったから。けれども、なんだか価格破壊が生んだ産物のように思える。

生きた鶏を次々とビニール袋に入れていく映像。何なのだ、これは!
京都府の養鶏業者の自殺。「死んだら真相はわからない。」という声はもっともだけれど、それより育てた鶏が目の前で次々と殺されていくことに、耐えられなかったのだよね。
この騒動の最中に、さくら薬局の庭でも、すずめが一羽死んでいた。誰にも言わずに、地面を掘ってそっと埋めて、手を合わせた。

ドンキホーテ
テレビ電話による医薬品販売に挑戦をした、薬店の名前。このニュースが流れたとき、厚生労働省は良い反応ではなかったけれど、私は内心「よくやった!」とエールを送った。
インターネット上で、医薬品販売が行われているのに、そしてそれを取り締まれないのに、深夜薬店まで足を運んだ消費者に、医薬品を販売する方法が無いなんて、なんだかおかしいと思っていた。
ドンキホーテ側は、販売ではなく必要最小限を差し上げるという方法で、厚生労働省に徹底的に抗議をした。

深夜でも薬を必要とされる人に対応できる体制を整えることは、必要なことだと思う。しかしこの物騒なご時世、一人しかいない薬局に見知らぬ人が尋ねて来られるのは、正直不安。自分の身の安全と天秤にかけると、夜間薬局を開けることに、抵抗がある。

テレビ電話の有効利用だと考える。道具の使い方を間違えないことが、大切。
赤磐郡医師会病院院外処方箋に切り替わる


このことは、取り立てて珍しいことではないが、岡山県下で初めて患者様がご自身で薬局を選択するという方法を採用した。
もちろん、今までも患者様の意思を尊重していたことは事実。しかし、多くの人々は自分の地域のどこに薬局があるのかなんて、興味の対象外。
「かかりつけ薬局」という言葉は一人歩きをしているが、実情は医療機関の近くにある薬局に処方箋を持ち込むのが大半。またそうでなければ、処方箋に書かれてある薬がすぐ手に入るとは限らない。
準備に向けて、昨年秋の山陽町文化祭の会場で、初めて薬剤師会赤磐支部のブースを設置。そこで、病院に導入する予定の、処方箋をファックスする機械の紹介をする。若い層からは、「こんな機械が病院にあると便利ね。」という声を頂くも、年齢の高い層からは「機械操作は、苦手。」という声がほとんど。

 この原稿を書いている三月末、不安と期待とが入り混じっている。


後 記

 『来年のさくらだよりを発行する頃は、きっと拉致家族の人々が再会しているはずだ・・・』と、昨年の今頃は思っていた。昨年のクリスマス、早く再会できますようにと念じて、ツリーを飾った。六者会談が行われて、これで解決だと思っていた。ところが、解決の糸口さえも見えない。
 治療法のない病気に見舞われた人・政治の犠牲になった家族・戦争の犠牲者・・・どうしたらいいのか、その解決方法が判らない。喜びを共有するように、つらいこともたくさんの人で共有すれば、解決の道筋が見えるのではないか
と考えた。
 その方策が『祈り』。
『祈り』というテーマで、斉藤明子さん・長岡功治さん・藤原智将さんに寄稿していただきました。
 それぞれの祈りが、幸せへの糸口となりますように。


発行日 二〇〇四年四月
発行者  赤磐郡山陽町岩田六十三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会