STAP細胞
昨年一月下旬、画期的な発表がなされた。場所は理化学研究所。日本が誇る研究所である。その内容は、弱酸性の溶液につけると細胞が初期化するという。しかも世紀の発表をしたのは、若き女性の科学者。
このニュースを聞いた脊髄性筋委縮症の一人の男性は、
「俺、オレンジジュースの風呂につかろうかな?」と言った。
それほどにウキウキするニュースであった。
しかし、一か月もたたないうちにウエブ上で、疑惑がかけられた。これを追いかけるように週刊誌の取材攻勢はすさまじい。
二枚の電気泳動の写真画像を、サイズを変更して合成をしたという疑惑が伝えられた時、「アウト!」と強く思った。この時点で世論は、職場におけるパワーハラスメントによって改ざんが行われたのではないか?という意見も多かったが、これにはとても賛同できなかった。科学者として事実を捻じ曲げてしまっては、もはや何をか言わんやである。それから後は、博士論文における無断引用や画像の使い回しなどなど耳を疑いたくなる疑惑に、日本の大学教育のレベルはここまで落ちてしまったのか?と惨憺たる気持ちになった。
次第に世論は「本当にSTAP細胞はあるのか?」という方向になびいていったが、最も問われなければならなかったことは、ねつ造疑惑ではなかったのだろうか?
出来ることなら、研究者の勘違いであって欲しかったが、結論はどうもそうではなかったようだ。
この一連の出来事を、一研究グループの不祥事と片付けることはできないだろう。なぜなら、その前に発覚した数々の医薬品の効能に関するデーター改ざん疑惑も、ひどいものであった。
たった一つの救いは、ウエブ上であれ、『おかしい』と声を上げる人々がいたことである。日本を代表する研究機関が発表した仕事について、異論を挟むには勇気がいる。その勇気に喝采を送りたい。
私はマララ
勇気といえば、これほどの勇気をもった少女に出会ったことはないような気がする。 銃口を向けられても全くひるまずに身を隠すことなく、戦時下の少女に対する教育の重要性を敢然と訴える。
銃に使うお金はあっても、何故本に使うお金はないのですか?
戦車に使うお金は合っても、何故学校を建てるお金はないのですか?と。
わずか十七歳の少女のノーベル平和賞受賞。受賞記念講演は他の受賞者と比較しても、堂々として、力強い演説であった。
エデュケーション(教育)のありようを再考しなければならない時期に来ていると感じるこの頃。
昨年の七月一日、唐突に集団的自衛権の行使容認が、憲法解釈で出来ると閣議決定されたとニュースで流れた。
そして戦争地域で戦火に巻き込まれた邦人擁護に、自衛隊を派兵出来るとパネルを使って安倍総理は説明をしていた。
自国民の安全確保の為に、米国軍隊に依存できないだろうとも説明をしていた。
第二次大戦後七十年、日本は戦火に巻き込まれず、平和憲法のもとで武器使用をせずに今に至っているが、今後もその状態が続くことは補償できないと言っていた。
確かに“平和ぼけ”をしているのだろう・・・・が、一度武器使用が法律上可能となったら、再び
『一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ 』という教育を行うのだろうか?
薬の説明に来られる二十歳台のMR(医薬情報担当者)氏に、日本国民の義務として兵役について、仕事として他人に銃口を向けられる?と少々意地悪な質問をしたら、頭を抱え込んでいた。
五十鈴川にて
国家を守るとは、いったい何を守ることなのだろうか?
国民の生命・財産・名誉を守るというのが、基本的人権擁護として明文化されているが、それはあまりに普遍的で、それ以上に思考を発展させられない。
昨年西アフリカでエボラ出血熱の集団感染の際、脱水に対する点滴以外有効な治療方法がなく、瀕死の状態になっても救急搬送されないか、たとえ搬送されてもその搬送先の病院から手の打ちようがないとのことで送り返される少女の映像を見せられて、なんともやりきれない気分になる。そして・・感染した妊婦に対して、その傍で女性医療者が「我々だって怖いんだ!」と大声で訴えており、遠まきに渡されたペットボトルの経口補水液を受け取るその妊婦の目は、諦めたような恨みを含んでいるような悲しい目つきであったのを忘れることが出来ない。
恐らく今の日本では起こりえない光景だと思う。人権に配慮した手当なり対応が、当然なされるであろうと信じている。
国家とは・・・と考えるうち、秋の紅葉シーズンに偶然、伊勢神宮を参宮することになった。
内宮への道すがら、五十鈴川のほとりで、見ず知らずの一人の年配の男性から声をかけられた。
「この川で手を洗って、清めてからお参りしないといけませんよ。」と。
この五十鈴川、別名を御裳濯川(みもすそがわ)と言うらしい。
倭姫命が裳裾の汚れを濯いだという伝説に由来するものらしい。
あに図らんや、足元を清めることになってしまった!
何事にも始まりがあるように、『日本国』の始まりはいつなのか?という単純な疑問から、『古事記』にたどり着いた。
古事記に登場する、須佐之男命という神様は、両親に疎まれて数々の乱暴を働き、寛大であった姉である天照大御神を天の岩戸屋に引き籠らせた一方で、ヤマタノオロチを退治した英雄でもある。
歴史好きの青年は、ヤマタノオロチ伝説と昨年の土砂災害について次のように感じていると言う。
ヤマタノオロチ
昨年八月二十日未明に広島県北部で集中豪雨による土砂災害があった。
当日朝の報道では全容がつかめなかったが、しばらくして死者七十四名という、過去三十年間で日本土砂災害史上最大の被害となったことが判明した。
ニュースでは、連日その救出作業の様子を伝えていた。その中で土地を良く知る人へのインタビューの中に興味深い話があった。
それはヤマタノオロチ伝説についてのことだった。ヤマタノオロチとは、出雲の国に存在したとされている八つの頭と八つの尾を持つ怪物のことで、洪水の化身と解釈されることがあるという。今回被害にあった場所の山を隔てた北側がヤマタノオロチ伝説のある島根県になる。
被害にあった地区は、新興住宅地である。市街中心部への集中を避けて、未開発地を新たに切り開いてできた場所。現代人の不遜な考えで、本来触れてはいけないところに触れてしまったのではないだろうか…。今回土砂災害のあった地域は、昔は蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)という地区であったそうだ。地名の由来は、水害をもたらす竜がいてそれを退治して首が落ちた場所という説がある。
近くの神社では毎年ヤマタノオロチを祀る行事があるらしい。
新興住宅にそのような名称では縁起が悪いため、地名を変更したそうである。意図的な悪気はなかったと信じたいが…?
昔から伝え聞いていた人々は周辺には建物は建てなかったという。
災害後、遠くからだが現場を見る機会があった。まるで山から蛇が降り下っている様子に見えたのは私だけであろうか。自分が住んでいる場所の地名の由来を考えさせられる光景であった。(K・M)
ジェネリック医薬品に思う
保険料を納める健康な世代の割合が減り、医療費が必要な人口の層が増えて、国民医療財政がひっ迫している。平成二十六年度の一般会計で、社会保障費が三十兆円、これに対して税収が五十兆円といのだから、なんとか医療費を倹約しないといけないという理屈は理解できる。
さらに医療技術の進歩と共に、かつては治療できなかった病気や怪我を克服できるようになった。しかし医療費支出は増えることになる。
もともと相互扶助のしくみとしての国民皆保険制度であって、昭和六十一年までは七十歳以上の医療費負担は無かった。
過去には病院の薬を渡す窓口に風呂敷を持ってこられて、湿布を何十袋も包んで持って帰られる人も、まれな光景ではなかった。後で聞くと、近所の友人に配られる湿布も含んでいたらしい。風邪ではないか?と思われる処方箋に、ビタミン剤やら消化剤やら隙間が無いほど薬が記入されているものに遭遇したこともある。
これらの光景を、財政がひっ迫した今の時代の目線で眺めると、相互扶助になっていないではないか?と非難できる。
蛇足であるが、国民皆保険制度の浸透によって、街の薬局・薬店における一般薬(ОTC)の売れ行きは次第に下がってきている。
話をジェネリック医薬品に戻そう。今、国は医療費削減の目玉としてジェネリック医薬品推奨に躍起になっている。従って製薬企業は、ジェネリック医薬品を発売することに、企業の力を注いでいるように感じる。
しかしエボラ出血熱の大流行や脳腫瘍で寿命を宣告されて、若くして安楽死を選んだ昨年の例に見るように、治せない病気は未だに数多くある。ましてや患者数の少ない病気の薬の開発はなかなか行われない。たとえば、シアル酸という物質が、遠位型ミオパチーという神経難病に効果があるのでないか?という提案がなされても、その後の治験がなかなか進まなくてじれったい。
治療法のない病気に対する薬の開発こそが、製薬企業の責務ではないか?と思っているのだが、次々と新発売される薬は糖尿病薬や降圧剤などすでに数十種類の治療薬がある分野か、もしくは特許期限の切れたジェネリック医薬品である。
相互扶助というのなら、治療薬のない分野の薬の開発費用も、互いに負担ができるしくみを運用しなければならないのではと考える。
「薬を使う」ということは、使う人の病気治療はいうまでもないが、その薬の未知の効果や副作用あるいは他剤との相互作用などが次の世代へと伝承されて、薬の使われ方が高められてゆくということではないか?と考えている。
今後ジェネリック医薬品の使用比率が高まることによって、国民医療費抑制はできたとして、製薬企業の開発能力はどうなるのだろうか?
不治の病気に対して、誰がその治療薬の開発を担うのであろうか?と気になっている。
日本国民が、外国資本の製薬企業の開発の被験者にされる時代がやって来るのではないか?と考えると空恐ろしい。
アイス・バケツ・チャレンジ
昨年春、氷水を頭からかぶっている様子をウエブ上に公開をして、難病であるALSの認知度を高めて、治療法開発の為の寄付金を集めようという試みが始まった。
マイクロソフトのビル・ゲイツ氏、歌手で奇抜なファッションで注目を浴びるレディ・ガガ、ソフトバンクの孫社長などなどたくさんの著名人が参加したので、アッと言う間に広まって、寄付金も多く集まったらしい。
ところでほぼ同じ頃、福島県相馬市内に、放射能被害にあって外遊びができない子供の為の屋内ドームを作ろうという構想が持ち上がった。
相馬こどもドーム
目標金額は二億円。発案者はプロ野球楽天のオーナー。
梅雨頃まではなかなか募金金額が伸びなかったが、九月に入ると建設が始まり十二月半ばに完成。二億円のうち九割は法人からの寄付金らしい。わずか九か月での実現に、『楽天』という知名度は充分貢献している思うが、それでもインターネットのパワーに感心した。
東北大震災義捐金の使途について取りざたされている。原発事故直後にこんな方法があることに気が付けば良かったのに・・・。
道具は使い方が大切。
イオン岡山店開業
岡山県民が誇りにしていた地元企業「林原」がなくなって、岡山駅前の林原駐車場跡地が、巨大ショッピングモールに生まれ変わった。ゴビ砂漠における恐竜の研究・類人類研究所・古文書の修理に用いる糊の開発など、誰もが手掛けることが出来ない分野で企業名が知られていただけに、倒産の知らせには衝撃を受けた。
一方、県庁所在地の駅から徒歩で行ける場所に巨大ショッピングモールが出来るということは珍しいだけに、皆の話題をさらった。
ショッピングモール内に処方箋を受け付ける薬局もあり、最新の調剤機器が揃えられているそうだ。
大資本を持っているところは、やはりすごいなあと思っていたら、なんと作年末に我が薬局の調剤機器が壊れてしまって買い換えることになった。
九年半、ご苦労様。
万葉集から
読み人知らず
桜花 時は過ぎねど 見る人の
恋の盛りと 今し散るらん
花の咲き誇っているうちに散ってしまいたいと詠む気持ち・・・さもありなんと思う。
次は万葉集最後の歌。
大伴家持
新しき 年の初めの 初春の
今日降る雪の いやしけ吉事
新しい雪が積もるように、良きことが重なりますように・・・。
いつの世も、そう願う。
後 記
この原稿を書いている最中に、イスラム国での日本人ジャーナリスト殺害のニュースが飛び込んできた。『イスラム国』は国家ではないので、『ISIL』とするらしい。この地域に住む人々にとって『国』とはどのようなものなのだろうか?。
古事記の解説本を読んでいると、
日本の国の始まりについて、様々な神を登場させて、それらの神々に人の性(さが)を表現していて興味深い。須佐之男命の破天荒な振る舞いやその後の勇敢な活躍。イナバの白兎に登場する八十神。木花之咲夜比売と石長比売。など・・・子供時代に童話として読んだ時は、こんなに意味深い話だとは思っていなかった。
戦後生まれの日本人の多くは、おそらく選挙権を得る頃まで『国』を意識することは、ほとんどない。
しかし好むと好まざるとに拘わらず日本人として教育を受け、国民としての独自性を身に着けてきているのだろう。
本当かどうかは別として、日本は科学立国だと教えられてきたし、
そのことを誇りに思っていたようだ。昨年は、三人の日本人が青色ダイオードの研究でノーベル賞を受賞したことに興奮した。しかし一方で研究不正が次々と発覚し、薬の分野では新薬開発よりジェネリック医薬品製造に力を注ぐような機運が立ち込めて、なんだか薬を扱う一人として寂しい。
伊勢神宮参宮の後、平成生まれの一人の青年が「大学時代の卒論の件で、大学に呼ばれていたんですよ。学生時代にはあんまりうまくゆかなかった研究なんだけど、後を受け継いだ後輩がうまくやってくれているようで・・・・」とボソッと話してくれた。
試行錯誤・スクラップ&ビルド・淡い期待と落胆を繰り返しながら、一歩ずつ進んでゆくしかないのだろうな、・・人生も。真央さんのソチ五輪での雄姿に思わず涙。
発行日 二〇一五年四月
発行者 赤磐郡山陽町岩田六三ノ一
さくら薬局
印刷 財団法人矯正協会