さくらだより第6集

桜はや
わが国花とおもうから
嵐にくるふ美しさ見つ             (岡野 直七郎)

 第二次大戦前の日本で、読まれた句。
 今回「さくらだより」を作成するにあたり、桜という花が、どのようなイメージに捉えられているのかを探った。
 桜は、古くは『古事記』『日本書紀』にも登場する。そのあでやかさが好まれたようだ。奈良時代は、中国伝来の梅の花が、花の代名詞に取って代わったらしい。「左近の桜」というのも、梅が植えられていた時期もあったという。平安時代を経て、花の代名詞は、梅から再び桜に変化したそうだ。そして武家文化になり、桜の散る様子から武士道と関連づけられ、桜が好まれたようである。これが後の「同期の桜」という歌を生んだのかもしれない。
 一輪、一輪を近くで眺めると、とても華奢な花である。同じ時期の桃の花に比べて、その花の色も淡い。しかし、桜吹雪の下にある時の感覚は酔うというのが相応しい。
 数ある花の中でも、国策に利用された花はそう多くないだろうと思う。



患者よ 癌と闘うな
 こんな題名の本が出版された。著者は、第一線の医師。
 とてもわかりやすい表現で書かれてあるので、一大センセーションを引き起こす。そうかな?…と思いつつも、思わず引き込まれるようにして、読んだ。
 その後、大阪大学医学部で開催された、第一回ビジランスセミナーというのに参加した。よい医療を考える会である。この会の席上での、一人の医師の発言が忘れられないので、ここに紹介しようと思う。日本においては、感染症イコール抗生物質という考えが浸透している。この考え方に基づいて、堺市に集団食中毒が発生した時、抗生物質が必要以上に汎用されたのではなかったろうか?という意見に対して、 「目の前で苦しんでいる子どもに、何もしないでおくということは出来ないんですよ。」という言葉である。
 出来ることなら、泰然自若としてガンも迎えたいと思う。しかし、それは無理だろうな、と想像する。一方、患者さんの処方せんを調剤するとき、『これは行き過ぎの薬の使い方ではないかな?』と思うものも正直ある。



ホームページの試み
 平成八年十一月にホームページを開設して一年が過ぎました。新しい試みとして、赤磐郡内の休日診療を、月単位で更新しています。また、山陽新聞の東備版の中から、健康相談や乳児検診、さらに介護関係の講演会などの「お知らせ」を選んで、毎日更新しています。前任の担当者が、結婚退職しましたので、昨年秋から担当者が変わりました。アドレスも、変更しました。
http://www1.harenet.or.jp/~sakuraph/

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メッセージ
「空を飛べたらいいな」 世の中には夢に描いてもどうしても出来ないこと、機能があっても壁が高すぎて夢に届かないこともある。私には数多くの人より、出来ないこと、難しいことが多いだろう。出来たらいいなと時々思うが、考えても変わらないことは意識に根付いている。
 けれども、心の中には様々な憧れが溢れている。例えば恋の憧れも時には心に思い浮かべたりもする。実際はいくつかの恋を見送り、思春期の頃に誰もが抱くような幻想から未だに一歩も進まないでいる。やはり不自然で、人間らしく生きているとは言えないのだろう。
 理想の恋愛とは、お互いを支え合い、時には側にいるだけで幸福を感じることかも知れない。今はそれさえ本当に難しいことなのである。いや、その前に僕には想いを伝える意志や勇気からも逃げてきた。この先、壁はますます大きくなるだろう。しかし、どんな状態であろうとも希望は捨てなくていいと今、改めて思う。希望がある限り不可能にはならないのだから。思えば最後の砦として言葉が残されている。新たな出会いに目を向けて憧れを抱き続けよう。想いを伝える勇気を身につけた時、本当の意味で人間らしく生きた時、始めて障害を乗り越えたと言えるのだろう。(長岡 功治)

      

注 釈
「さくらだより」五号がご縁で、大阪にお住まいの長岡 功治さんのお宅に、昨年秋お邪魔をしました。長岡 功治さんは、筋ジストロフィーという難病で、今はひとときも人工呼吸器を離すことができません。お兄さんは同じ病気で、十八歳の時亡くなられました。お邪魔をしたその日は、同じ病気で闘病をされていた仲間の、お葬式の日でした。御両親を交えて、亡くなった友達のこと・医療の体制のこと・学校生活のこと・現在の生活のことなどをお伺いしました。
 この病気は、快方に向かうということはありません。また薬の分野では、これといった治療薬もまだありません。できるだけ残された機能を長く使えるように、身体のコントロールをしなければなりません。一方で、医療機器の進歩に伴い、在宅でも長く生活をすることが可能になり、健常者の人と同じように学校で学ぶことも可能となりました。功治さんも大学を卒業され、卒業論文作成の時は、胃潰瘍になるほど頑張ったと、お伺いしました。
 私がお伺いする前日、プリンターの調子が悪くなり、その修理個所をお母さんに言葉で伝えようとして、うまく伝わらず、「僕ができたら、自分でするのだけれど…」と言われたお言葉に、お母さんが悲しくなられたというお話しを聞き、帰りの新幹線の中で『長岡さんが恋愛をされるとすると、どんな恋愛をされるのだろう…これはできないとはじめから決めてかかっておられないのだろうか?』と考え、彼の心の内を表現してもらえないだろうか?と考えました。
 この文章を書くには、彼は先端にゴムのついた編み棒をゆっくり操りながら、キーボードに向かわなければなりません。また普段の生活にも多くの手助けが必要ですので、周囲の人達の感情を慮って、思いの丈を十二分に書くことは、とても難しいことと想像致します。
「健常者の中にある一種の偏見のような感情が、彼らを苦しめているのではないか?」と、この文章を読んで感じました。



H2ブロッカーのこと
 平成九年九月より、H2ブロッカーという胃潰瘍の治療薬が薬局で買えるようになった。これに伴い、テレビのコマーシャルには盛んにその名前が登場する。ザッツ・ガスターテン……など。一方で、我々薬剤師仲間では、事故が起こるのではないだろうか…という話しが絶えない。
 私が実際に体験をした副作用を、ここに示そうと思う。
 この薬を手にした理由は、いうまでもなく空腹時の胃痛である。いつもと少し違う痛みとは思いつつ、病院で検査を受ける時間の余裕はなく、「まあこれで痛みがとれれば、病院にかからなくても良いだろう」と自己判断をして服用をした。胃の不快感が起こってからは、食欲がなく、ろくな食事もしていなかったこともあったのか、薬の服用を始めて数日後には立ちくらみがおこり、さらに肩で息をするようになった。この時点で私は『この薬の副作用が出たな!』と感じ、服薬を中断した。薬の効能書を読んでいるので、この副作用がどのような機序でおこっているのか、私には想像がつく。しかし、一般の消費者の人には、それを想像することは難しいと思う。
 服用を中断すると、今度は胃の痛みがぶり返す。教科書通りである。ここで病院に行って検査を受けられる消費者であれば、問題はない。しかし、仕事や家庭のことに追われて、再びこの薬を手にするる消費者もあると思う。異なる薬局の店頭で、薬の名前を名指しされると、特に抵抗もなくお渡しをするであろうと考える。さらに、薬局の店頭で、今服用している薬の名前を言って下さる消費者は少ない。薬物間の相互作用を判断することは、とても難しい。
 国民医療費の削減・薬局の機能充実の名のもとに、医療用医薬品が薬局で購入できるようになるという。さらに、コンビニエンス・ストアーでも一部の医薬品が購入できるようになるという。便利にはなる。しかし、その前にしておかなければならないことがあるように思うが、いかがなものか? 「薬は毒、それをいかにうまく使うかが問われる。」とは、我々の薬学教育の最初に受けた講義の内容であった。



地球温暖化
 昨年十二月に、京都において地球温暖化防止会議が開かれた。最近、異常気象という言葉を聞くようになった。
 ここ山陽町でも、冬に軒下のツララを見かけることが珍しくなった。夏に街中を歩く時、蒸し暑さが一段と増したように感じる。便利との引き換えに、着実に環境汚染を引き起こしている…との自覚はある。
 デパートの包装紙、買い物のときのビニール袋や紙袋、駅弁の箱・・・明治生まれの祖父母は丁寧にしまっていた。これらが、ごみ箱へ直行するようになったのはここ十年程。
 生卵十個をあっと言う間に新聞紙で包んでくれるその様子に「すごい!」と見とれた。美しい包装紙は、教科書や参考書のブックカバーとなり、何度も付け替えた。日常の買い物の時は、籐で編んだ買い物篭を下げていった。たんすには色々な風呂敷きがあった。こんな事は、もう三十年くらい前のことか。
 天ぷらの衣は剥がして、ラーメンのスープは残すように、外食は八分目に・・・という昨今の食事指導に違和感を感じなくなっている。しかし飲食店の裏側にあるゴミのポリバケツを見る時には、さすがに罪の意識を感じる。
 ここ山陽町でも老人会の方々が、日にちを決めて道端に落ちたジュースなどの空缶を拾い集めておられる。そして燃えないごみの日には、集められた空き缶の入ったビニール袋がいくつも並ぶ。それが年を追う毎に、多くなってきている・・・と感じる。
 「もうこれ以上便利にならなくてもいいよ。」と声をあげられない自分に気がつく。やはり洗脳されているのだろうな…


アメリカの
おくりものとて
この夕べ
真白きパンを
われ食みにけり            (岡野 直七郎)

 これは山陽町西中出身の歌人岡野直七郎氏が、昭和二十一年に発表した句。日本にもこんな時代があったのだと思う。
 隣国・北朝鮮の食糧事情の様子が平成9年春から夏にかけて、一時マスコミを賑わせ、やせこけた子どもの姿に思わず顔を背けたものだが、真相はどうなのだろう?



テレビ電話
 電話、ファックス、ポケットベル、携帯電話、電子メール。よくもこれだけ通信手段があるものだと思う。最近特に、手紙やはがきを書くことが少なくなった。いざ簡単な手紙を書こうと思っても、まず最初の季語が思い浮かばない。それを考えているうちに、つい電話に手を伸ばす。相手が留守でも留守番電話に録音したりするので、別段不自由は感じない。その一方で、電話やファックスの音の聞こえないところに逃避したいと思う時もある。自分の時間が誰かに占領されているような錯覚を、覚えることがある。
 ゆっくり想いを巡らす…なんてことが、できにくくなり、なんとなくせわしない。
 昨年あたりから、テレビ電話というのが世の中に登場し始め、岡山県の薬剤師会においても、そのデモを行なった。話す相手の顔が見えるというのは楽しい。まるでテレビの生中継を見ているようなその様子に、科学技術の進歩を想う。
 我々が次の世代に残さなければならない『技術』とは、いったいどんな技術なのだろうか?。



後 記
 昨年は、四月になってから雪が積もり、山陽町の特産の桃にも被害がありました。これも異常気象かもしれません。しかし、異常と言えばなんといっても中学生による小学生のバラバラ殺人事件のニュースには背中が寒くなる思いがしました。その後の中学生による先生の殺人にもビックリしました。さくら薬局にお越しの学校の先生方に伺っても、「何が起こってもおかしくないですよ。」とおっしゃられます。一方で、難病のためになんとかよい治療法はないか、と大病院に期待を託して通われる患者さんの処方せん調剤をさせていただく時、命の尊さを教えられます。
 インドにおいて、誰にも見取られずに道端で亡くなる人に手を差し伸べ、人間は誰しも等しく神の子であるといわれたマザー・テレサは、昨年初秋に天国に召されました。
 新しい技術が、人と人との間にある垣根を低くさせられたら・・と考えています。

発 行 1998年4月
発行者 赤磐郡山陽町岩田63-1
 さくら薬局
 TEL: 08695-5-5510